MENU
15,043

スレッドNo.188

論語でジャーナル’26

6,南容(なんよう)、三たび白圭(はくけい)を復(ふく)す。孔子、その兄の子を以て、これに妻(めあわ)す。

 南容は、『詩経』にある「白き圭(たま)の玷(か)けたるは、尚(なお)磨くべきなり その言の玷(か)けたるは なすべからざるなり」という言葉を一日に三度復唱していた。孔子は、このことを知って、自分の兄の娘を南容に嫁がせたのである。

※浩→南容が『詩経』にある詩「白き圭(たま)の玷(か)けたるは…」を繰り返し読んでいましたが、その詩の内容から南容の人格の卓絶した徳性を見抜いた孔子は、自分の兄の娘を嫁にしたという話です。これは「公冶長篇」の「子、南容を謂わく、邦に道有れば廃(す)てられず、邦に道なければ刑戮より免れんと。その兄の子を以て之に妻(め)あわす」の別の言い伝えです。公冶長には自分の娘をやり、南容には兄の娘をやったということは、兄の娘のほうを大切に思っていたからだと言われています。これは、弟が兄を敬う「悌」の実践ということでしょう。親孝行の「孝」と兄弟愛の「悌」は「仁」のもとだと有子は言っていました。「肉親の情」が最近怪しく感じられるようになりました。親子・きょうだい間の血なまぐさいトラブルがあとを絶ちません。これは今に始まったことではなくて、古今東西、きょうだいにまつわるトラブル・悲劇は枚挙に暇がありません。日本ではすでに古代に「壬申の乱」がありました。天武天皇元年6月24日~ 7月23日(ユリウス暦672年7月24日~ 8月21日)に起こった古代日本最大の内乱です。天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて戦いが勃発しました。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱でした。他に、頼朝vs義経、足利尊氏vs直義、徳川家光vs忠長……。アドラー心理学も、性格形成への「きょうだい競合」の影響を考慮しますから、驚くことではないかもしれません。
 孔子のお弟子さんたちの「きょうだい愛」は美しいですが、皮肉な見方をすると、老子が言ったように、「大道廃れて仁義あり、……六親(りくしん)和せずして孝慈(こうじ)あり」で、父母・兄弟・夫婦の仲が悪くなると、親孝行な息子や慈悲深い父などが目立つようになるということかもしれません。エーリッヒ・フロムの名著『愛するということ』で、兄弟愛は次のように書かれています。
 ↓引用
 あらゆるタイプの愛の根底にある最も基本的な愛は、兄弟愛である。私の言う兄弟愛とは、あらゆる他人に対する責任、配慮、尊敬、理解(知)のことであり、その人の人生をより深いものにしたいという願望のことである。「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という聖書の句が言っているのは、この種の愛のことである。兄弟愛とは人類全体に対する愛であり、その特徴は排他的なところがまったくないことである。もし愛する能力が十分発達していたら、兄弟たちを愛さずにはいられない。人は兄弟愛において、すべての人間との合一感、人類の連帯意識、人類全体が一つになったような感覚を味わう。兄弟愛の底にあるのは、私たちは一つだという意識である。すべての人間が持つ人間的な核は同一であり、それに比べたら、才能や知性や知識の違いなど取るに足らない。この同一感を体験するためには、表面から核まで踏み込むことが必要である。もし私が他人の表面しか見なければ、違いばかりが眼につき。そのために相手と疎遠になる。もし核まで踏み込めば、私たちが同一であり、兄弟であることがわかる。表面と表面の関係ではなく、この中心と中心との関係が「中心的関係」である。
 シモーヌ・ヴェイユはこのことを次のように見事に表現している。「同じ言葉(例えば夫が妻に言う『愛しているよ』でも、言い方によって、陳腐なセリフにも、特別な意味を持った言葉にもなりうる。その言い方は、何気なく発した言葉が人間存在のどれくらい深い領域から出てきたかによって決まる。そして驚くべき合致によって、その言葉はそれを聞く者の同じ領域に届く。それで、聞き手に多少とも洞察力があれば、その言葉がどれほどの重みを持っているかを見極めることができるのである」。
 兄弟愛は対等な者どうしの愛である。しかし実際のところは、対等な者も、常に「対等」というわけではない。人間である限り、誰しも助けを必要とする。今日は私が、明日はあなたが。ただし、助けが必要だからといって、その人が無力で、相手方に力があるというわけではない。無力さは一時的な状態であり、自分の足で立って歩く能力は、人類に共通の持続的な力である。
 とはいえ、無力な者や貧しい者やよそ者に対する愛こそが、兄弟愛の始まりである。身内を愛することは別に偉いことではない。動物だって子どもを愛し、世話をする。また、無力な者が力在る者を愛するのは、彼の生活がその力在る者に依存しているからであり、子どもが親を愛するのは親を必要としているからだ。自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。意義深いことに、旧約聖書において、人間が主に愛するのは貧乏人、よそ者、寡婦、孤児、そして国の敵であるエジプト人やエドム人である。また、自分自身を愛することは、助けを必要としている不安定で脆弱な人間を愛することでもある。同情には理解と同一化の要素が含まれている。旧約聖書曰く、「汝らはエジプトの地でよそ者であったがゆえに、よそ者の心を知る。……それゆえ、よそ者を愛せ」。(エーリッヒ・フロム「愛するということ」、鈴木晶訳、紀伊國屋書店)
 ↑
 引用終わり
 きょうだいが力を合わせて、大事業を成功させ例はあるでしょうか?日本では「曾我兄弟の仇討ち」を思い出しますが、少ないようです。私が知らないだけかもしれません。兄弟が強力し合ってことを成し遂げた例は、ライト兄弟などでしょうか。そういえば、今年の大河ドラマは「豊臣兄弟」でしたか。兄・秀吉と弟・秀長のお話です。秀長の優秀さは、昔の「おんな太閤記」で知っていますが、惜しくも早くに亡くなります。それ以後秀吉が猛進したのかもしれません。今度の大河ドラマを観る気はありません。配役がいまいちなじめないです。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top