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スレッドNo.19

論語でジャーナル’25

5,子曰く、甚だしい(はなはだしい)かな、吾の衰えたるや。久しいかな、吾復(ま)た夢に周公を見ざること。

 先生が言われた。「私もずいぶん老人になった。肉体がよほど衰えたに違いない。何となれば、以前は、私が最も理想とする人物である周公様を夢によく見た、しかし今は、周公様の夢を見なくなってからずいぶんになる」。

※浩→周公は孔子から5or600年前、周王朝の創業にあたって、王朝の政治と文化の方針、またそれらの組織を定めた周公・旦で、文王の子、武王の弟です。礼の諸儀式、それにともなう楽(がく)のすべてはこの偉人が制定しました。人間の文化の方向を定めた偉人として、孔子が仰ぎ慕っていたのです。この偉人への思慕を、恋人への思慕のように夢に見ていたのが、見なくなったから老衰を感じるという晩年の述懐です。
 かく言う私も80歳を越えて久しいです。老いると夢を見ないとありますが、私はまだ見ます。アドラー先生は夢の意味を知ってからは見なくなったそうですが、私はいまだ夢を見ます。ライフスタイルと関係のある夢に「繰り返される夢」があります。私の夢は、「授業に行こうとして、生徒用の印刷資料をいつも置いている棚を見ると、ない!探しても探しても見つからない。確かに印刷してここに置いておいたはずなのに」。そうかと思うと、「今度は自分が執務する机がない」。それから、「職員室を出たが、途中で迷ったみたいで、どうしても教室にたどり着けない。しかも大好きなクラスだから早く行きたいのに行けない」。さらには、「行きたくてしょうがないクラスに毎回遅刻して行く」……。定年退職してからすでに20年以上になり、もはや授業もなければ、職員室も必要ないのに、こういう夢を見る理由が自分には不明です。アドラーは、「夢は未来のリハーサル」だと言いましたが、私には授業のリハーサルは無用なのに一体何のリハーサルなんでしょう?「目ざす場所へは結局行けません」という意味なのかもしれない。そんなー!目ざす場所が何なのかわかりません。そういえば、野田先生の日記に、「人生はどうせ間に合わない」とありました。ニーチェの『人間的あまりに人間的』でしたか、「人生は退屈して生きるにはあまりにも短すぎる」とありました。そうだ、“瞑想”だ!「今ここ」でしか私たちは生きていないんです。過去の後悔と未来への不安にさいなまれることなく、「今ここ」の現実をしっかり感じ取って生きるしかないのです。これらの夢はすべて、「今の現実に帰れ」という教訓なのかもしれません。そして、今は「暑ーーーい!」。この土曜日に迫った岡工講座のリハーサルを丹念にやっています。ここへはたどり着けますから。

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