論語でジャーナル’26
14,魯人(ろひと)、長府を為(つく)る。閔子騫(びんしけん)曰く、旧貫(きゅうかん)に仍(よ)らばこれを如何(いかん)、何ぞ必ずしも改め作らん。子曰く、夫(かの人は言(ものい)わず、言えば必ず中(あ)たる。
魯国の人が長府という倉庫を建設した。閔子騫が言った。「旧来の慣習に従ったらどうだろうか。どうして旧来の慣習を捨ててすべての組織・建物を新しく作る必要があるのだろうか。先生がおっしゃった。「あの人は普段はあまり話さないが、話すと必ず的確な発言をする」。
※浩→伝統文化や旧来の慣例を重視する儒学は、基本的に保守主義のエートス(行動様式)にもとづいている。「温故知新」と言われるように、古いものを捨てて安易に新しいものに乗り換えることに危惧していた孔子は、「旧来の慣習を重視せよ」という閔子騫の発言に賛同の意を示したのです。現代的な観点からは、過去の規範やシステムをただ維持し続けようとする保守主義が必ずしも正しいとは言えないでしょう。時代が変化して不合理になったものは改めないといけません。「過てばすなわち改むるに憚ることなかれ」とは、まさに『論語』の言葉です。この復古主義は日本の幕末の王政復古の理論的根拠ともなったと言われています。保守派がよく引用する個所でもあるそうです。要は、「保守派がどうの、革新派がどうの」ではなくて、「ことの内容」が重要なのではないでしょうか。与党も間違うことがあるし、野党も正しいことを言っていることもあります。「中る」を「あたる」と読むことがここでよくわかりました。そういえば、歌手に「中(あたり)孝介さん」という人がいます。「命中」の「中」もなるほど「あたる」と関係あります。
「普段はあまり話さないが、話すと必ず的確な発言をする」というと、私が岡山工業高校在職中に、私の赴任後お二人目の校長・和田道男先生から「大森さんはサイレントマンですね」と言われたことがありました。そういえば、当時は授業でも関係ないことはほとんど黙っていて、あらかじめ準備しておいた精密な手作り教材(ワーク形式)を配布して、低音ヴォイスで指示だけして、あとは黙々と机間巡視をしていました。その寡黙な私が、ある校務分掌の名称を変更することになったとき、職員会議で、有名な「マルチン・ニューメラー牧師の告白」を引用して反対意見を述べたことがあります。この会議のあと、私は校長室へ呼ばれて、「大森さん、今回はまいりました」と、その名称変更は延期されることになりました。これはこれで良かったのですが、和田校長の次に赴任された片山博美校長のとき、あっさり変更されてしまいました。いつもおしゃべりだと、「またか」ということで、迫力がありませんが、たまにきちんと発言すると、迫力があります。それにしてもその反動でしょうか、今はしゃべりすぎです(笑)。