論語でジャーナル’26
15,子曰わく、由(ゆう)の瑟(しつ)、奚為(なんすれ)れぞ丘(きゅう)の門に於いて為(な)さん。門人、子路を敬わず。子曰く、由は堂に升(のぼ)れるも、未だ室に入らざるなり。
先生がおっしゃった。「子路の琴の弾き方であれば、何も私に入門して学ぶいみがないではないか」。この言葉を聞いた門人は、子路を尊敬しなくなった。先生はそこで言われた。「子路は既に殿上にはのぼっている(表座敷に通る資格はある)が、まだ廊下にいて、奥の部屋には入れていないだけなのだ」。
※浩→詩を習うときには、普通、瑟(しつ)という二十五絃の琴で弾き語りをしました。礼楽の道を重視した孔子が、冗談のつもりで子路の無骨な弾き方をからかったのでしょうが、それをユーモアと理解しないで真面目に受け取った門人たちは、子路に敬意を寄せなくなってしまいました。「こりゃいかん、やり過ぎた」と反省した孔子は、子路の政治や学問における実力の高さに注目して、琴の腕前についても、座敷の喩えを引いて「もう一歩上達すれば十分」と持ち上げました。弟子たちは互いに先生の愛情を独占しようと競争していたのです。まるで、アドラー心理学で言う「きょうだい競合」のようで、微笑ましくはあります。われらが師匠・野田先生のお弟子さんたちはどうだったでしょうか。90年代で思い出すトップは萩昌子さんです。それから中島弘徳さんに鎌田穣さんと名越康文さんでした。そしてアドラーギルドという本拠地の事務所には高橋さと子さんや田中貴子さんがいらっしゃって、この方々はいわば大御所のような存在でした。翻訳では、故・宮野栄さんが光っていました。この方々は、私がアドラーの世界に入るよりずいぶん以前から野田先生に師事されていました。そして、お師匠さまが他界された現在、宮野さんはすでに故人となられ、名越さん、鎌田さん、田中さんはアドラーを去られて、とても淋しくなりました。2010年を過ぎると、野田先生を取り囲む人々から男性が次第に消えて、ふと気がつくと、“おばさま”(失礼、女性)ばかりになっていました。しかも「理事さん」のほとんどが女性で、会長も女性が継承して「女系家族」が続きました。今は、かつて一度会長をされた梅崎一郎さんが再任されて、男性会長が復活しています。ただ、野田先生亡きあと5年が経過して、どんどん「野田カラー」が薄れているように感じます。これは別に「野田信仰」を望んでいるわけではありませんが、野田先生から教わった、アドラー心理学のアイデンティティを外さないように、特に実践面でさらに発展させていくという決意を固持したいのです。