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スレッドNo.194

論語でジャーナル’26

16,子貢問う、師(=子張)と商(=子夏)と孰(いず)れか賢(まさ)れる。子曰く、師は過ぎたり、商は及ばず。曰く、然らば則ち師愈(まさ)れるか。子曰く、過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし。

 子貢がおたずねした。「子張と子夏とではどちらが優れていますか?」。先生がお答えになった。「子張は行き過ぎであり、子夏は不足している」。子貢がさらに聞いてみた。「そうであれば、子張のほうが優れているということですね」。先生は答えられた。「程度が行き過ぎているものは、不足しているものとまあ同じである(どちらも程よくバランスの取れた中庸から外れている)」。

※浩→孔子は「中庸の徳」の実践を重んじ、才智や能力が極端に行き過ぎているものも、才智が劣っているものと同様にバランスが崩れていると考えていました。常識的には、平均的な能力・知性よりも極端に優れた人物の評価は高いはずですが、安定的な持続性と人格的な徳性を大切にした孔子は、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と警告しています。
 日常よく使われる教訓で、ここが出典です。日常生活でも「中庸」を実践していれば過ちを犯すことは少ないです。「中庸」は、洋の東西を問わず、大切な概念です。アリストテレスは、「知性的徳」を理論の「知恵」と実践の「思慮」に分けました。「知恵」は観想を楽しむ哲学的態度で、「思慮」は行動に「中庸」を命じます。これに従うことで「習性的(倫理的)徳」が実現します。「中庸」というと硬いですが、“やまとことば”では「ほどよい」がふさわしそうです。歌舞伎の台詞に「ほどがよい」というのが出てきます。「伊勢音頭恋寝刃」でしたか。また「ほどほどに」という良い言葉もあります。出過ぎ・やり過ぎを本来日本では好みません。日本では「謙虚」はだいたい好感を持たれます。「出る杭は打たれる」と言われます。そういえば、人にものをあげるとき、「つまらないものですが」と言います。西洋では、「つまらないもの」を人にあげるのは失礼だと思われるでしょう。徳川家康の遺訓で、「及ばざるは過ぎたるよりまされり」と言われているように、「控えめ」が好まれました。今はそういう雰囲気はほぼ消えてしまってようです。「やり過ぎ」「出過ぎ」「言いすぎ」が横行していて、要するに“品がない”。
 家康の遺訓は次のとおりです。
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
 おのれを責めて人をせむるな。
 及ばざるは過ぎたるよりまされり。
 徳川家康の旗印ですか、「厭離穢土、欣求浄土」は、何か「劣等な位置」から「優越な位置」を欣求するというアドラー心理学ふうの態度に思えて、好感が持てます。

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