論語でジャーナル’26
17,季氏、周公より富めり。而(しこ)うして求(きゅう)はこれが為に聚斂(しゅうれん)して附益(ふえき)す。子曰く、吾が徒(ともがら)に非ざるなり。小子(しょうし)鼓(こ)を鳴らして攻めて可なり。
家臣の季氏一族は主君(魯の周公)よりも裕福であった。そういった状況があるのに、弟子の冉求(ぜんきゅう)が季氏の利益のために徴税の業務を行なっている。先生がおっしゃった。「冉求はわれわれの同志ではなくなった。諸君、鼓を鳴らして(批判精神を発揮して)攻め立てていいよ」。
※浩→儒家思想は、家臣は主君に対する「忠孝の義」を踏み外してはならないという封建主義的な道徳規範の根拠になった教えでもあります。“忠信孝悌”と言います。それなのに孔子の門弟の冉求が、主君の財産を増やすのではなく、家臣の季氏の財産を積極的に増やす徴税行為をしているのを見て、孔子は激しい義憤に駆られました。それで他の門弟たちに、戦で太鼓をたたいて襲いかかるように、冉求を厳しく批判してよいと語って、冉求の不忠な行為を改めさせようとしたのです。実際に内乱を始めよと言っているのではありません。軍隊に喩えて冉求を批判し、彼の政策を改めさせよと言っているのです。
周王朝創業の英雄・周公旦の後裔は2つに分かれました。1つは主君・魯の公室で、1つは周の家老で、ここでの周公は後者だとされています。
封建道徳に関しては、現代にマッチしない点がありますが、愛する弟子ではあっても、道理に反する行為をすれば、このように厳しく叱責して戒める孔子の“やさしく、きっぱり”の態度がこの条からうかがえます。アドラー心理学の「勇気づけ」という技法は、ただ相手を気持ち良くさせることではなくて、自らの責任を果たすように、ものごとに建設的に、自他に有益に行為できるように援助することです。あるとき、野田先生に、「最近イヤなことが続いたので落ち込んでいます。先生、私を勇気づけてください」とお願いした人がいました。先生は、「いいけど、私が勇気づけると、もっと落ち込むかもしれないよ」とおっしゃいました。「勇気づけ」を誤解しているが人が多いですから、自己点検を怠らないように注意しないといけません。