論語でジャーナル’26
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古注:子曰く、論篤(ろんとく)なるもの是れ与(か)、君子者乎(か)、色荘(しきそう)なる者乎。
新注:子曰く、論の篤きに是れ与(くみ)すれば、君子者乎、色荘者乎。
・古注:先生がおっしゃった。(前節の「善人」の続きとして)「議論が常に熟慮的である人物か、それは君子らしい者か、荘重な容貌をした者か」。
・新注:先生がおっしゃった。「議論の誠実さだけを頼りにすると、その人が本物の君子なのか、表面的に君子を装っている(うわべ)だけの人なのか区別できない」。
※浩→新旧で、読み方がまったく違います。吉川幸次郎先生は新旧並列され、貝塚先生は「新注」を採用されました。私としては、新注のほうがわかりやすいです。
長らくNHK大河ドラマを見ていませんでした。2025年の「べらぼう」はすべて観ました。その前は2021年の「晴天を衝け」でした。主役の渋沢栄一さんを2019年の朝ドラ「なつぞら」で山田天陽役だった吉沢亮さんが熱演されました。写真で見る実物の渋沢氏より段違いのイケメンで、かっこよすぎます。彼は子どものころから“おしゃべり”で、周囲の大人たちから「子どもは黙っとれ!」と取り合ってもらえなくても、言うべきことは堂々と主張していました。この才能がのちの偉業達成に大いに役立ちます。確かに、「何を持っているがではなくて、与えられたものをいかに使いこなすか」とアドラーが言ったとおりです。日本では古来、「沈黙は金」「饒舌は銀」で、饒舌の評価が低かったのですが、そうとも限りません。私も子どものころからおしゃべりでした。よく鏡の前でアナウンサーの真似をしていました。父の姉(伯母)のうちへ妹とお泊まりに行って、3人が川の字になって寝ていて、伯母さんが「ひろちゃんは大きくなったら何になる?」と聞かれて「アナウンサー」と答えていました。実際にはアナウンサーにはならないで、高校教師になりましたが、おしゃべり上手が役立ったことは言うまでもありません。高校の同期生で演劇部仲間でもあった山県章弘さんは、山陽放送(RSK)のアナウンサーになりました。ちょっとうらやましかったです。彼は美声でした。私は高校時代に合唱ではテノールでしたが、大学でボート部に入って大声を出していて、すっかりダミ声になってしまいました。学校で怒鳴るには迫力はありました。アドラー心理学に出会ってからは、怒鳴るのをやめて、対話を重視するようになりました。