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スレッドNo.200

論語でジャーナル’26

22,子路問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、父兄在(いま)す有り、如何(いかん)ぞ、それ聞くままにこれ行わんや。冉有(ぜんゆう)問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、聞くままにこれ行え。公西華(こうせいか)曰く、由が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は父兄在す有りと曰(のたま)えり。求が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は聞くままにこれ行えと曰う。赤(せき)や惑う。敢えて問う。子曰く、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ねんとす、故にこれを退く。

 子路が質問した。「(指示を)聞いたらすぐにそのとおりに実行しましょうか?」。先生がお答えになった。「父兄がまだ生きていて心配していらっしゃるのだから、どうしてすぐに実行することができようか」。冉求が質問した。「聞いたらすぐにそのとおりに実行しましょうか」。先生がお答えになった。「聞いたらすぐにそのまま実行しなさい」。公西華がおたずねした。「子路が『聞いたらすぐに実行しましょうか』と聞いたときには、先生は『父兄がまだ生きていらっしゃる』と制止され、次に冉求が『聞いたらすぐに実行しましょうか』と聞いたときには、先生は『聞いたらすぐに実行せよ』とお答えになりました。私はこれを聞いて戸惑いました。どちらが正しい教えなのですか?」。先生はお答えになった。「冉求は慎重で消極的だから、すぐに実行することを勧めた。子路のほうは他人の分まで仕事をしようとする積極性があるので、これを抑制したのである」。

※浩→孔子は門弟たちの個性と長所を的確に把握していて、弟子から同じ内容の質問を受けても弟子のパーソナリティ(個性)に合った回答・アドバイスを臨機応変に与えました。
 吉川幸次郎先生の解説では、教条主義は、ただ1つの倫理を、相手構わずに押しつける。孔子はそうでなく、それぞれの相手の性格なり環境をよく考えて、それぞれに適切な教えを与えた。つまり人を見て法を説いた、とあります。
 アドラー心理学では、それぞれの「私的論理(価値観)」の違いを考慮して、それぞれに応じた回答をするということになるでしょう。まことに野田先生のなさり方とぴったり一致します。アドラー心理学といっても、初心者と、長く学んでいる人、人を援助する人と、援助される人ととか、それぞれの立場に応じて、違うことを教えられました。私も入門当時は、「あれ、あのときと違うことを言っている」と気づいて混乱したこともありました。「育児講座」に参加する親御さんたちに語ることと、カウンセラーやサイコセラピストを目ざす人に語る言葉は、違って当然です。また、スパルタ式で成長する人もいれば、俗に言う「褒められて」成長する人もいるでしょう。今日の「第一掲示板」のに、野田先生は、カウンセラー養成講座で試験に合格する人と落第する人について書かれています。
 ここに登場する、子路・冉有・公西華の3人は、他の個所でもよく一緒に現れます。子路の問いの「何かを聞けば、すぐそれを実行してよろしいか」に対しては、孔子は、「正しいことを聞いても、それを実行するには、父や兄が健在なら、まずその意見を聞いてから行動しなければならない。聞けばすぐ実行など、どうしてできようか」と答えています。一方、冉有の同じ問いには、「正しいことを耳にすれば、すぐ実行したまえ」と、正反対のことを答えます。その理由を公西華が問うと、「冉有は引っ込み思案だから、すぐ実行しろと推進した。それに対して子路は出しゃばりだから抑えた」と答えているのです。ちなみに、子路は長老で、冉有は中年、公西華は若者だそうです。津山工業高校では、子路にあたるのが私だとすると、冉有が児玉先生、公西華は「ともに学ぶ若者」だと思います。そうなると子路にあたる私は、十分気をつけて、自分ひとりの判断で実行しないで、必ず侯経験者の意見を聞いてから実行するという、慎重な態度が求められます。「即断即決即破滅」にならないように。昔に比べれば、かなり改善したように自分では思っています。特に「独断」に陥らないように注意していますから。

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