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スレッドNo.202

論語でジャーナル’26

24,季子然(きしぜん)問う、仲由と冉求(ぜんきゅう)とは大臣と謂うべきか。子曰く、吾れ子(し)を以て異なるをこれ問うと為せり。曾(すなわ)ち由と求とをこれ問えるか。所謂(いわゆる)大臣なる者は道を以て君に事(つか)え、不可なれば則ち止(や)む。今、由と求とは具臣(ぐしん)と謂うべし。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑(しい)せんとすれば亦(また)従わざるべし。

 季子然がおたずねした。「季氏(自分)に仕えている子路と冉求とは、大臣(=立派な臣下)と言える者たちでしょうか?」。先生は答えられた。「私はもっとあなたが変わった問いかけをすると思っていましたが、子路と冉求について質問されるのですか。いわゆる大臣という者は、道に従って君に仕え、君が道から外れれば諫(いさ)め、その意見が聞かれなければ辞職するものです。現在の子路と冉求は、頭数だけをそろえた臣下(普通の“並び大名”的な臣下)と言えるでしょう」。季子またおたずねした。「それならば、この二人は季氏の命令に何でも従うのでしょうか」。先生が答えられた。「しかし、父親と君主とを殺害するように命じても、その(人倫に違背した)命令に従うことはないでしょう」。

※浩→季氏は魯の家老です。彼は孔子の門下である子路と冉求という有能な君子を家臣にしたことが得意で、それが質問の動機です。孔子は君主を蔑(ないがし)ろにする季氏の専横を快く思っていませんでした。そこで、子路と冉求についてやや厳しめの評価を下しています。
 「大臣」という言葉は、『五経』には登場しなくて、『論語』(四書の1つ)のここが最も古い使用例だそうです。孔子の孫・子思の作と言われる『中庸』には、「大臣を敬え」というのが天下国家を治める法則の1つとしてあげられています。その「大臣」は、道に従って仕え、道に合わないことがあれば諫め、それが聞いてもらえなければ辞職するという、高潔の士です。今の政府の関係者はどうでしょうか?総理大臣が間違ったことをしようとしていたら、周囲に諫める人がいるでしょうか?
 昔の東映映画に中村(萬屋)錦之助主演の「風雲児・織田信長」というのがありました。名脇役の月形龍之介さん扮する家老の平手政秀は、信長の後見役として信長の初陣を滞りなく済ませるとともに、争い中であった美濃の斎藤道三との和睦を成立させ、信長と濃姫の婚約を取り纏めたりしましたが、信長の放縦ぶりを諫めて、聞き入れられなくて自刃しました。これには信長も堪えたことでしょう。
 学校では、校長に部下の先生が諫言することはかなり困難です。職員会議などでも職員は消極的で、提出された議案はおそらく批判を加えられることなくそのまま可決されているのでしょう。野田先生がこのことをよく、「デモクラシー」でなく「アナーキズム」だとおっしゃっていました。朝日新聞のコラム「天声人語」さながら、「人の声は天の声」だということを為政者は肝に銘じていてもらいたいです。
 1970年代に天声人語を担当した深代惇郎氏は、根強いファンが多かったです。2年9カ月の短い期間でしたが、読者に深い印象を残しました。残念なことに白血病に倒れ、46歳で逝去されました。出版もされていて、わが家には昭和51年発行の第一巻とその続編があります。第一巻を久しぶりに紐解いてみました。目に飛び込んできたのは、「ノー・サイド」というタイトルでした。引用します。↓
 全日本ラグビーが来月、イギリスに遠征する。スクラムの固いOBたちは涙を流してよろこび、二百人の応援団をくり出すほどの興奮ぶりだという。
 日本人は長いあいだ、ヨーロッパに片思いをつづけてきた。シャンソンを歌い、スコッチを飲んできたのに、先方は一向にこちらを向いてくれなかった。この片思いの最たるものが、ラグビーだろう。明治以来、黙々と腕をみがいてきたが、日本のラグビーは物の数に入れてもらえなかった。その涙ぐましい努力が七十四年ぶりに実り、招待状がきた。関係者は足の踏むところを知らない。
 十年ほど前、筆者がロンドンにいたころ、日本ラグビー育ての親、故・香山蕃さんを発生の町「ラグビー」に案内したことがあった。創立四百年のラグビー校のグラウンドは、霧につつまれて、ぼんやりと青く拡がっていた。香山さんはそこに立ちつくして、いつまでも離れようとしなかった。胸中には、歯を食いしばってイギリスに追いつこうとした感慨が去来していたのだろう。
 グラウンドのかたわらに碑があった。千八百二十三年、このグラウンドでフットボールの試合中、エリスという少年がいきなり球を抱えて走り出した。「かくてラグビーはこの地で始まる」と由来記が碑に記してあった。規則違反でラグビーが始まったというのは、ルール尊重のお国柄だけにおもしろかった。
 ラグビー、サッカー、ゴルフをみても、イギリス人はルールを作ることでスポーツを完成させる特別の才能があるようだ。そろって雨天決行なのも、コウモリガサとレーンコートのお国らしい。
 ラグビーの試合終了を「ノー・サイド」という。戦いが終われば、敵味方の別はないというスポーツマンシップを感じさせてすがすがしい。「我はたたえつかの防衛、かれはたたえつ我が武勇」で、悔いなき激闘を期待したい。(48・8・30)
 こういう、簡潔でしかも多彩な引用があり、しかも説得力ある名文を、自分も書けるようになりたいものです。また、機会を見ては、深代淳郎氏の「天声人語」を読み返しましょうか。

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