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スレッドNo.203

論語でジャーナル’26

25,子路、子羔(しこう)をして費の宰(さい)たらしむ。子曰く、夫(か)の人の子を賊(そこ)なわん。子路曰く、民人あり、社稷(しゃしょく)あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然して後、学びたりと為さん。子曰く、是(こ)の故に夫(か)の佞者(ねいじゃ)を悪(にく)む。

 子路が、子羔を季氏が管轄する「費」の城主(市長)として採用した。先生が言われた。「あのまだ未熟な若者を、ああした地位につけるのは、本人のためにならない」。子路が答えた。「費の町には、ちゃんと人民がいて、穀物の神を祀る神社があります。統治と奉仕の実践によって、学問ができます。何も書物を読むことばかりが、学問なのではありません。読書による学問が未熟だからといって、市長の資格に欠けるとおっしゃるのは、おかしい」。先生がおっしゃった。「だから、私は、強弁する人間が嫌いだ」。

※浩→季氏の重臣として権勢を高めた子路は、友人ではあるが政治的資質の乏しい子羔(孔子より30歳年下)を軍事的要地である「費」の城主にとりたてました。そして、子羔に市長としての才覚と資質が不足していることを熟知していた孔子は、子路に対して「子羔では十分な務めを果たせないだろう」と苦言を呈したのです。しかし、政治的な実力者となっていた子路は、既に政治の現場から引退していた孔子に向かって、「書物を読む精神的な営みだけが学問ではなく、政治の現場で理想を実現することもまた学問ではないか」と反駁しました。その口達者(強弁)な言い回しをに正面から言い返さないで、『口先で相手を丸め込もうとする人間が嫌いだ」と漏らしたのです。
 「費」の邑(しろ)は季氏の本拠となる荘園で、魯国の南方の関門と言うべき要所で、堅固な城が築かれ、多数の兵士が守っていました。あまりに強大な城になったので、城主はたびたび季氏に反逆を企てたそうです。その「費」の城主(市長)に、男気を出した子路が、頼りない子羔(高柴)を任命しました。孔子が「まだ未熟な子羔のためにならない」と言ったのに対して、孔子の若いころの、実践を重んじる持論を引き合いにして反論しました。孔子はすでに現役を引退していましたことでもあるし、口達者な子路を正面から説き伏せるのにタジタジとして、すっかり成長して生意気になった子路に降伏せざるをえなかったのでしょう。顔淵に次いで愛していた子路の反撃が嬉しくもあったのでしょうか。弟子が成長して、師匠を超えることは、“出藍の誉れ”で、喜ばしいのですが、孔子ほどの聖人でも、成長した弟子にやり込められていたとは、むしろ微笑ましいです。私のような凡人は、うかうかすると後輩たちにやりこまれてしまいます。アドラー心理学を学び始めて、既にで35年になりますが、まだまだ新人の気分で、学べば学ぶほど、その奥ゆきに引き込まれています。最近始めた人が、すでに奥義を究めたようにふるまわれるのを見て、あきれることもありますが、その人たちを私が育てたわけではありませんから、関係ないです。むしろ、若い人が学び半ばにして去っていかれることを惜しみます。

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