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スレッドNo.209

論語でジャーナル’26

5,司馬牛、憂えて曰く、人は皆兄弟(けいてい)有り。我独り亡(な)し。子夏曰く、商これを聞く。死生、命(めい)あり、富貴天に在り。君子は敬して失うなく、人と与(まじわ)るに恭(うやうや)しくして礼有らば、四海の内皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟なきを患(うれ)えんや。

 司馬牛は憂鬱な雰囲気で言った。「人間にはみんな兄弟がいるというのに、私だけはただひとりだ」。子夏が言った。「私は死生の別も天が与える運命であり、富み栄えるのも天命であるという言い伝えを聞いている。君子が慎み深い態度をとって間違いを行わず、人と親切に交流して礼を失わなければ、世界のすべての人々がみな兄弟になるだろう。君子であるものがどうして兄弟がないというくらいのことを心配するだろうか」。

※浩→前の条で、司馬牛は「君子は憂えず懼れず」と孔子から言われているのに、さっそく憂えています。しかも、兄弟があるなしとか、財を得るか得ないかとかは、天が与える運命であって、人間の努力を超えた問題なのに、憂えていますから、こうなるとやはり「杞憂」ということになりそうです。
 とはいえ、司馬牛の兄は、宋の景公に反乱を企てたり孔子を襲撃したりするなど道徳的に好ましくない人物であり、宋から追放されて衛に亡命した時に兄弟の縁は絶縁状態になっていたことを考慮すると、理解はできそうです。この人はほんとに兄弟がいない別の司馬牛だという説もありますが、ここではその説は採りません。
 兄を失った司馬牛が悲嘆に暮れていたところ、同門の子夏が来て「徳は孤ならず」の同志愛の精神を説いて、兄弟がいないくらいのことを憂う必要はないと励ましました。「君子敬して失なく、人と与(まじわ)り恭しくして礼有らば、四海の内皆兄弟なり」の部分は、人徳によって膨大な数の民衆の支持を結集して安定的に国家を統治するという、儒教の徳治政治の理想につながる部分でもあると言われます。が、条件がついています。「人と与り恭くして礼あらば」です。
 「四海の内皆兄弟たらん」と言うフレーズは、学問だけでなく、宗教や政治・社会の理想を持つ者の同志愛としてよく使われます。特に侠客・土匪や革命運動の団体のような秘密結社の同志愛を表明してよく利用されました。同士は義兄弟の縁を結んで、きわめて強固に団結していました。そうそう、「三国志」の“桃園の誓い”を思い出します。北島三郎さんの「兄弟仁義」にも、「同じ血を引く兄弟よりも……」とありました。歌舞伎では「三人吉三」を連想します。

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