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スレッドNo.210

論語でジャーナル’26

6,子張、明(めい)を問う。子曰く、浸潤(しんじゅん)の譖(しん:そしり)、膚受(ふじゅ)の愬(そ:うったえ)、行われざる、明と謂うべし。浸潤(しんじゅん)の譖(しん)、膚受(ふじゅ)の愬、行われざる、遠しと謂うべし。

 子張が、聡明さについて質問した。先生はお答えになった。「じわじわと浸潤してくる他人の誹謗中傷と、皮膚に直接感じるような無実の罪の訴え、これを受けつけないのが聡明である。じわじわと浸潤してくる他人の誹謗中傷と、皮膚に直接感じるような無実の罪の訴え、これを受けつけなければ、それは単に明であるばかりでなく遠大な未来を見る見識ということになる」。

※浩→「聡明さ」についての子張が質問に孔子が答えています。孔子は「根拠のない誹謗中傷や無実の人を陥れようとする訴えに耳を貸さない態度」を聡明と、さらにはそれを越えた徳である「遠」であると考えていました。
 「浸潤(しんじゅん)の譖(しん)というのは、水が気づかぬうちにだんだんとものを浸していくように、讒言(ざんげん)中傷と気づかれないように、日数をかけて君主の心に食い入る巧妙な讒言のこと。悪知恵の極みというところです。「膚受(ふじゅ)の愬(そ)」は、古注は「皮膚のように浅薄な言葉」、新注は「皮膚にじかに痛みを感じさせる訴え」で、上の解釈はこちらを採用している。いずれにしても、君主のそばに、そうした巧妙な讒言、誹謗中傷が渦巻きやすいものではありますが、それが効をなさない状態、それを「明」と言い、「遠」と言っています。それが効をなすと、“裸の王さま”状態になります。『三国志』で言うと、十常侍と呼ばれる宦官の集団が皇帝に取り入って絶大な権勢を振るったようなことになります。ずっと前の話ですが、学校関係では、校長を取り巻く連中が日夜校長を“よいしょ”して宴会を催し、有力な派閥を形成しました。その後、その中からかなりの人たちが校長に昇進していかれました。その様子を横目に見て、「管理職になるコツは、“酒飲み”“ゴマすり”“恥知らず”」と皮肉をおっしゃる人もいました。そして、心をこめた諌言をする人は誅せられたのです。
 野田先生から、「人類の精神年齢は12歳で止まっている」と聞いたことがあります。大人も精神的には中学生レベルです。1人1人が少しでもほんとの大人に近づいて、人類全体の精神年齢を上げていかないと、未来は危なそうです。
 古い話ですが、1912年4月14日に豪華客船タイタニック号が沈没しました。1500人の犠牲者を出した大事故も、スピード最優先にした人間の愚かさと氷河の危険を知らされながら傲慢に見栄を張ったことに起因するのでしょう。映画は、記録映画ふうの作品と、例のレオナルド・ディカプリオ主演のラブストーリーにアレンジされた作品と観ました。あとのほうは繰り返し観ています。

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