MENU
15,044

スレッドNo.212

論語でジャーナル’26

8,棘子成(きょくしせい)曰く、君子は質のみ、何ぞ文を以て為さんや。子貢曰く、惜しいかな夫(か)の子(し)の君子を説くや。駟(し)も舌に及ばず。文は猶(なお)質のごとく、質は猶(なお)文のごときならば、虎豹(こひょう)の鞟(かく)は猶(なお)犬羊(けんよう)の鞟のごときなり。

 棘子成が言った。「君子は実質のみ(質朴さ)が重要で、どうして装飾・形式(文化)などがいるだろうか」。子貢がそれに対して言った。「あの方(棘子成)の君子について語った言葉は、大変残念である。四頭立ての馬車の速度で追っかけても、一度舌の生んだ過失(失言)には追っつかないのだ。装飾は実質のようなものであり、実質は装飾のようなものであり、両者ともに等価値であるとし、一方だけでよいとしてしまうならば、虎・豹のなめし皮が、犬・羊のなめし皮と同じであるようなことになってしまうではないか」。

※浩→国家統治の手段である礼楽を重視する儒教に対して批判的だった棘子成は、「形式的・装飾的な礼の実践は不要だ」と放言しましたが、それに対して孔子門下の子貢は賢く、「実質も確かに大切だが、同様に装飾的な礼も大切である」と反論しました。実質と形式は絶えず相補的でどちらも欠かすことが出来ないという儒教の基本スタンスが現れています。
 孔子は、伝統的な「礼」が形式的になっていることを批判して、「仁」の心からものであるよう主張していました。心を伴わない形式だけの「礼」は、とってつけたようで、真実味がないです。
 アドラー心理学を学び始めたころ、上司とのつきあいに苦慮している同僚への助言として、野田先生は、「幸せは心こもらぬ笑顔(or言葉)から」とアドバイスしてくださいました。具体的な方法は、出張などのとき二百円か三百円程度のお土産を、その上司に、心はこもらなくていいから買ってきてあげることでした。同僚は直ちにそれを実践したところ、その後上司との関係がどんどん改善していって、ついには「心から」尊敬信頼できるようになったそうです。もちろん同僚というのは、児玉先生のことです。
 野田先生に寄れば、「形式」から取りかかるのが実践的です。「心」は、あとから、「遅くなりました」と駆けつけるんだそうです。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top