論語でジャーナル’26
9,哀公、有若(ゆうじゃく)に問いて曰く、年饑(う)えて用足らず、これを如何(いかん)。有若対(こた)えて曰く、盍(なん)ぞ徹(てつ)せざるや。曰く、二(に)たりとも吾猶(なお)足らず、これを如何ぞ、それ徹せんや。対えて曰く、百姓(ひゃくせい)足らば、君孰(たれ)と与(とも)にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。
哀公が有若にたずねて言われた。「今年は不作で財源が不足しているが、どうしたらよいだろうか」。有若がお答えした。「それならどうして徹の税法(収穫の十分の一を収税する)にしないのでしょうか」。哀公が言われた。「十分の二の税金でも不足しているのに、どうして十分の一の税にするのだろうか」。有若は申し上げた。「人民の生活が満足していれば、主君は誰と一緒に不足していると言うのでしょうか。また、人民の生活が不足していれば、主君は誰と一緒に満足したと言えるのでしょうか」。
※浩→哀公は孔子晩年の魯の君主です。農業の不作によって財源不足に陥ったときに、有若(孔子の弟子のうちの長老)に助言を求めていますが、有若は徳治主義の根本にある「人民の保護の原理」を持ち出して、増税よりも減税によって人民の生産力を養うことを勧めたのです。今のわが国の政治家たちに聞かせたい名言ですが、目前の財政不足を補う政策を持ち合わせていなかったので、ただの“書生論”という批判もあったようです。いつの世でも税制は問題になります。国家も地方も財源は税で成り立っていますから、国民が負担するのは当然ですが、富める者に有利、貧しい者に不利になるのを累進課税制度で防止しているとはいえ、現実は低所得者に高負担になっています。特に、昨今の高齢者への負担増は著しいです。去年、お米の値段が2倍になり、あと物価がうなぎ登りで、そのわりに年金はさっぱり増えませんから、生活はさらに厳しくなりつつあります。