MENU
15,041

スレッドNo.216

論語でジャーナル’26

12,子曰く、片言(へんげん)以て獄(うった)えを折(さだ)むべき者は、それ由(ゆう)か。子路は諾を宿(とど)むることなし。

 先生が言われた。「裁判で一方だけの訴えを聞いて判決を下せるのは子路だけだな」。子路は、承諾したことを引き延ばすようなことがなかった。

※浩→剛毅な、率直な竹を割ったような性格の子路は、裁判においても原告か被告か一方だけの意見を聞いて判決を出すような拙速なところがあったのでしょう。拙速ではあっても人情重視の判決を出したらしくて、徳治主義の儒学的観点から、孔子は子路のそういった側面も好意的に評価していたようです。もちろん、現代においてはありえません。以前、NHKの大河ドラマ『篤姫』で、彼女の母君が、「一方を聞いて沙汰するな」と諭すシーンがありました。アドラー心理学では、「認知論(仮想論)」の立場から、例えば、母親が子どもの話をしているとして、その話から子どもの実態はわからない。母親が捉えた“子ども像”(主観)ということですから、そのまま受け入れるわけにはいきません。このことをうっかりしていると忘れます。お母さんには、子どもがそういうふうに見えているということです。「統覚(認知)バイアス」という色眼鏡を通して、人は現象を見て自分なりの解釈をします。カウンセリングを行うとき、来談者の語る内容を、こういうふうに慎重に聞くことは大変重要です。これは現代多発している、“振り込み詐欺”による被害防止にも、役立つかもしれません。言葉は「地図」です。地図は「現場」を抽象したものですから、地図だけを信じると危険です。現場を確認するということは、刑事ドラマふうに言えば、「裏を取る」ということでしょうか。
 ここの解釈は、子路が裁判官になったときのことだとする説と、逆に子路が裁判を受ける者となったときのことだとする説があります。後者だと、子路は正直者だから、決して嘘を言わない。彼の言うことだけを聴取しても、公平な判決を下せる、ということになります。
 おしまいの、「子路は諾を宿むることなし」は、孔子の言葉ではなくて、後世に弟子が挿入したものとされています。何ごとも、実行の困難さを考えて、安請け合いに承諾しなかったという説と、「宵越しの承諾をしない」つまり、承諾したことはすぐ実行したのだという説があります。慎重だったというのと、即実行というのと、まったく逆ですが、こういうアンビバレントは論語の解釈では珍しくありません。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top