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スレッドNo.218

論語でジャーナル’26

14,子張、政を問う。子曰く、これに居りて倦(う)むことなく、これを行うには忠を以てせよ。

 子張が政治について質問をした。先生は言われた。「議席についている間はちっとも怠ってはいけない。人民に対しては、忠義(誠意、まごころ)もって取り計らわなければならない」。

※浩→政治について質問してきた子張に対して、為政者である君子の心構えを説いています。「居りて」とは、「位」にいること。毎朝、広場で君主のご機嫌を伺い、そこで会議を開きました。「位」は各人の着くべき定まった席のことで、「議席」です。「行う」は、朝会から帰って、人民に対して会議で決まったことを実施することだそうです。
 現代のわが国の国会の様子をテレビの中継で見ますが、とても会議のお手本とは思えない様子が映し出されたことも過去たびたびありました。昨日の衆議院議員選挙で自民党が単独2/3議席を獲得しましたが、奢れることのないよう、責任ある行動を願うのみです。昔、「乱闘国会」なるものがありました。“選良”ともあろう人が言葉に詰まると暴力をふるっていました。昔はテレビの中継がなくて、映画館でのニュース映画で見ていました。2本立て上映が普通で、映画の前にニュースと予告編があって、それから本編上映でした。最初の上映のことを“封切り”と言っていました。それを見逃しても、しばらく待っていると、“二番館”とか“三番館”とかいうのがあって、フィルムに傷がついて画像が乱れたりしていましたが、料金は格安でした。子ども時代や学生時代には、お小遣いが限られていましたから、私たちは主に、“二番館”で観ていました。岡山市内では、まず、駅前の松竹座(邦画)、歌舞伎座(東映)、グランド劇場(洋画)、上の町の岡映(洋画)、新西大寺町の大福(おおふく)座、柳川ロータリー北の銀映(洋画)、南の岡山劇場(邦画)、チトセ映劇(洋画)、大和町の名画座(ここは一時ストリップ劇場になりました。近くに下宿していたボート部の仲間でドロンこと今村穣氏が愛した劇場)、奉還町の中華料理屋の隣の(第二)ニシキ館(邦画)と地球館(邦画)、田町の第一ニシキ館(邦画)、小橋町のヤマト座(邦画)、天満屋近くのセントラル(洋画)、千日前には北から順に若玉館(東宝)→テアトル岡山(洋画)、白鳥座(大映のち洋画)、文化劇場(洋画のち大映のちSY松竹文化に)、松映(松竹)、金馬館(のち日活に)と、たくさんありました。多くの映画館が、のちにはスーパーマーケットなどになったりしましたが、新西大寺町の大福座は、一時、「吉本三丁目劇場」という名で、吉本新喜劇や漫才を大阪から招いて常時上演していました。その後、客の入りが少ないのか、間もなく閉館しました。戦前の岡山市には、歌舞伎も上演できる本格的な劇場がありました。母が子どものころは、大雲寺町に「高砂座」というのがあり、その後、柳川に「岡山劇場」というのができて、そこでは大歌舞伎や宝塚歌劇などが上演されたそうです。戦後は「市民会館」や「市民ホール」のようなホールの他に、シンフォニーホールという音楽の殿堂ができました。これらには、歌舞伎向きの舞台機構が備わっていなくて、花道も回り舞台もセリもありません。舞台の転換のたびに緞帳を降ろすので、時間がかかります。今度できた「岡山芸術創造劇場(ハレノワ)」には大中小と3つのホールができましたが、花道も回り舞台はないようです。セリくらいはあるのでしょう。杮(こけら)落としには大歌舞伎でも呼ぶのかと思いきや、地元で制作したミュージカルを上演しました。がっかりでした。

編集・削除(編集済: 2026年02月11日 09:19)

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