論語でジャーナル’26
15,子曰わく、君子博く文を学びて、これを約するに礼を以てすれば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべし。
先生がおっしゃった。「君子は学問を幅広く学んで、その知識を礼の理念によって統一すれば、人としての正しい道を踏み外すことはないだろう」。
※浩→君子は学問によって身につけた表層的な知識を、『礼の精神』によって統一し人格の陶冶に心血を注がなければなりません。幅広く学んだその知見を雑多にしているのではなく、「礼」の理念で統一する。どこまでも「礼」の大切さが説かれています。同じことが、「雍也篇」「子窂篇」でも説かれています。伊藤博文さんのお名前の由来にもなっています。私にとっては、岡山大学ボート部の先輩に泉本文博さんという方がいらっしゃいました。この方は、ご自分の名前を“文学博士”の略だと自称されていました。「博く文に学びて」を私少しは実践してきました。若いころは文学~哲学と多岐にわたって読みあさりました。高校時代に「百人一首」は全部暗記し、世界最長篇詳説『大菩薩峠』は学校の図書館で借りて、ほぼ全巻読破しました。今日、カウンセリングをする上で、それら「雑学」がずいぶん役に立っています。人生のさまざまな場面で、そこにぴったりの「フレーズ」が“雑学の泉”から湧き出してきます。ときどき相棒・児玉先生がこの語彙の豊かさに感動してくれます。来談者さんの行動の意味を解釈して返すとき、ある表現では抵抗されても、少し表現を変えると、意外なほどすんなり受け入れられることもしばしばあります。昔から「ものは言いよう」と言われます。恩師・野田俊作先生は、おばあちゃん子だったそうです。おばあちゃんが同じことを何度もおっしゃるのを、いつも初めて聞くかのように、何度も何度も聞かれたそうです。それがカウンセリングで来談者さんたちが、入れ替わり立ち替わりおんなじようなことを言うのを、イヤがらずに聞くことができたそうです。もう1つは、おじいさんでしたかがお芝居見物に連れて行ってくださったそうです。それも古風な「新国劇」だったそうで、「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のお前たちとも、別れ別れになる門出──」「親分、雁が鳴いて西の空へ飛んでいかあー」等々、こういうのを体験したおかげで、人生の機微をそのときどきに巧みに表現できるようになられたそうです。私が主に引用しているのは、「歌舞伎」「小説」「落語」「故事成句」「哲学・倫理学」「映画」「アニメ」「聖書」「論語」「老子」「荘子」などです。