論語でジャーナル’26
16,子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是(これ)に反す。
先生は言われた。「君子は他人の美事・善事を支援しこれを完成し、他人の悪事は援助しない。徳のない小人はこれと反対で、人の悪事を尻押しして、人の美事を妨げる」。
※浩→善事を推進して悪事を抑制する君子の道徳規範とその実践のあり方を示しています。吉川幸次郎先生はここを最も好まれるそうです。他人の善行を応援してその完成を助け、他人の悪事には荷担しない。人の善事は助け、悪事は助けない。徳のない人は、悪事には荷担して、善事には知らんふりをする。「適切な行動に注目し、不適切な行動に注目しない」という“勇気づけ”の大原則につながってきます。カウンセリングでしていることは、まさにこのことです。
家康の旗印の言葉に、“厭離穢土・欣求浄土”(おんりえど・ごんぐじょうど)というのがありました。もとは平安中期の高僧源信(恵心僧都)が著した「往生要集」の中の言葉だそうです。「穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味です。家康が松平元康という名前だったころ、桶狭間の戦いで主君(と言うか、家康は人質だった)の今川義元が討たれ、逃げ隠れた大樹寺の、松平家のお墓の前で自害しようとしたとき、登誉上人が元康に言った言葉です。家康公はこの言葉を胸に、「天下泰平」を実現させるため、戦国時代を戦い抜きました。
野田先生はこんなことをおっしゃっていました。中国のある僧侶が高僧に、「どうしたら悟りを得られますか?」とたずねたら、「悪いことはせず、善いことをすることじゃ」と答えられて、「そんなことは3つの子でも知っている」と反論しました。高僧は「3つの子でも知っているが、70のジジイにも実行できんのじゃ」と一喝しました。まことに、「言うは易く行なうは難し」です。“一蓮托生”というもと仏教用語が、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれる、という意味だったのが、転じて、物事の善し悪しに関係なく、行動や運命をともにすること、という意味にもなり、現代では、どちらかと言えば、悪事に荷担するときの結束に使われているようですが、あまり愉快ではない使い方と思います。「かくなる上は一蓮托生の覚悟を決めねばならん」「もはやお前とは一蓮托生、地獄の底まで一緒だ!」と言うよりも、美しく、「さあ深く互いに最期を急がん。未来は一蓮托生、南無阿弥陀仏」とか、「一蓮托生の閨(ねや)のお同行とじゃれてきげんをとりければ」と浄瑠璃で語られているほうがはるかに綺麗です。