論語でジャーナル’26
18,季康子、盗を患(うれ)う。孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、苟(いや)しくも子(し)の欲せざれば、これを賞すと雖も窃(ぬす)まず。
季康子が、盗賊の被害を心配して孔子にご相談した。孔子はお答えした。「もし支配者であるあなたが私欲を持たなければ、人民も感化されて泥棒がいなくなり、たとえほうびを出しても泥棒などしないでしょう」。
※浩→前の章と同じく、為政者である君子の禁欲的な行動の率先垂範が重要だという話で、貝塚茂樹先生の解説がわかりやすいです。季康子が人民から重い税を取り立て、自分の家の財産を増やすことに全力を注いでいるから国民が困り、不正な手段で盗みをしてまで財を得ようとする者が出てくる。孔子は、婉曲に季康子の政策の批判をしたのである。孔子の時代には、各国で盗賊が盛んに横行しました。それもコソ泥でなく、多人数の集団強盗で、国家の治安が重要問題になっていました。
せっかく孔子を魯国に呼び戻してくれた季康子ですが、孔子の言葉を一向真剣に聞き入れなくて、それ以後の孔子は、73歳の死に至るまで、もっぱら著作に専念したそうです。ここでの孔子のアドバイスは、老子を思わせます。為政者が無欲・禁欲的であれば、盗賊なんか出現しない。『老子』第三章にあります。
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。得難(えがた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしむ。欲(ほっ)する可(ところ)を見(しめ)さざれば、民の心をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志を弱くし、その骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢(あ)えてなさざらしむ。無為をなせば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無し。
現代語→「人の上に立つ人間が有能な人間を尊ぶことがなければ、人々が互いに競争することもなくなるだろう。貴重な品々をありがたがらなければ、盗みを働く者もいなくなるだろう。欲望を刺激するような情報を絶てば、人々の心は落ち着くだろう。だから『道』を知った聖人の政治というのは、人々の頭を空っぽにして、そのお腹を一杯に満たす。人々の欲望を弱くして、その肉体を強くする。人々を無知無欲にして、小賢しい知恵者などにたぶらかされないようにするのだ。そうやって余計なことをしない無為の政治を行えば、世の中が治まらないなどということはない」。
野田先生から、「こら!老子は“土着思想”だぞ」と叱られそうですが、「毒もときに薬」ですから、おいしいところだけいただきます。無限のマインドを制限してハートを活性化する役には立つでしょうから、と、言い訳。