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スレッドNo.225

論語でジャーナル’26

21,樊遅(はんち)従いて舞樗(ぶう)の下(もと)に遊ぶ。曰く、敢えて徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁ぜんことを問う。子曰く、善いかな、問うこと。事を先にして得るを後にするは、徳を崇くするに非ずや。その悪を攻(せ)めて人の悪を攻むるなきは、慝(とく)を脩むるに非ずや、一朝の忿(いきどお)りにその身を忘れて以てその親(しん)に及ぼすは、惑いに非ずや。

 樊遅が、先生に従ってついていき、雨乞いの高台の下に遊んでいるとき言った。「かねがねおたずねしたいと思っていたことをこの機会におたずねします。『徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁ぜん』という古語の意味を教えてください」。先生が言われた。「よい質問だね。仕事を先にして、利益を得るのはあとにする、それが徳を高めることにつながるのではないだろうか。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めない、それが隠れた悪徳を取り除くことにつながるのではないか。一時の怒りに我を忘れて親族まで巻き込んでしまうのが、惑いというものであろう」。

※浩→樊遅は孔子より三十六歳年下の弟子です。弟子たちは、古語の意味についてときどき質問したようです。孔子はこういう質問を歓迎しましたが、弟子のほうはなかなか質問が切り出しにくかったようで、この樊遅の質問を「良い質問だ」と歓迎しています。年齢の離れた弟子へのやさしい思いやりも感じられます。私も、アドラー心理学を学ぶ若者たちには当然、自分の持てる情報と技術を、惜しみなく伝授しますす。
 ここでの質問は3点です。「崇徳(そうとく)」「脩慝(しゅうとく)」「弁惑」で、回答もわかりやすいです。まず仕事に努力、利益をとるのはそのあと。自分の悪いところを責めて、他人のそれを責めない。一時の怒りに我を忘れて親族まで巻き添えにしない。
 自分に関して自己点検します。「崇徳」は85点を目ざします。現在はパートタイム・ジョブとして月1回の講座を担当しています。スクールカウンセラー時代と違って、お手当は出なくて、完全ボランティアです。しかも講座後の「懇親会」では、若者たちの負担が軽くなるように、私が割り勘以上の会費を払っていました。最近はわりかんになりました(笑)。「脩慝」は60点です。大学だったらきりぎり最低合格点です。他人の不行跡を見るにつけ心が騒ぎますから。このことは野田先生の「心理療法の基礎理論」を学んで、「分類」と「弁別」の違いを知ってからだいたい抑制できるようになりました。「分類」というのは、価値判断をしないでただ区別しているだけで、「弁別」は善悪の価値判断を伴っていますからず何らかのアクションを生じます。「こりゃいかん。なんとかしよう」と。ですから、ただの「分類」でとどめておけば、何かをしようという動きは出てこないです。もう少し熟達すると、心騒がず穏やかでいられると思います。「こち亀」の両津勘吉のように、「笑ってごまかせ自分の失敗、しつこく罵れ他人の失敗」ではなくなると思います。妹は以前よく、「お腹をたいらに」と言っていました。その後は忘れたようですが。え、忘れてないって?

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