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スレッドNo.227

論語でジャーナル’26

23,子貢、友を問う。子曰く、忠もて告げ善もてこれを導く。不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)めらるることなかれ。

 子貢が朋友(ほうゆう)について質問した。先生は言われた。「真心をもって話し、善を勧める。しかし、友人が聞かなければそこでやめる。それ以上に出て自己を辱めることになってはいけない」。

※浩→孔子は多弁な子貢が朋友たちにお節介をしかねないので、朋友への忠告にも限度があることを説かれました。「忠もて告ぐ」から、「忠告」という述語が生まれています。友には真心から善を勧めるが、友情には限界があるので、うまく行かない場合は中止する。無理押しして自分を辱めることはないと語っています。「不可なれば則ち止む」というのは、全然中止することではなくて、しばらくやめて相手の反省を待つことだと、伊藤仁斎や荻生徂徠も考えたと、吉川先生は述べられています。交友関係の大事なヒントになります。徂徠の言葉を引用します。「仁斎先生曰く、その人可とせざれば、すなわちしばらくやめて言わず、その自ら悟るを待つと。味わいあるかな。そのこれを言うや、人多くおもえらく、交わりはここにおいてか断つべしと。小人なるかな」。「里仁篇」には、「子游曰く、君に事(つこ)うることしばしばすればこれ辱めらる。朋友にしばしばすれば、それ疎んぜらる」と。『荘子』には、「君子の交わりは、淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴(れい:甘酒か)の若し。君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。彼の故(ゆえ)無くして以て合する者は、則ち故(ゆえ)無くして以て離る」とあります。君子の交際は水のように淡白だが永い間親しみ続け、小人の交際は甘いためにすぐに途絶える。理由なしに結ばれた者は、理由なしに離れます。
 カウンセリングやセラピーに、「抵抗されたら引っ込む」という原則があります。解釈投与したり、助言提示したとき、受け入れられなければ、こちらの誤りだと考えて、無理押ししないで引っ込みます。そうでした。カウンセリングでの来談者と援助者との距離は「交友」のレベルですから、きっちり当てはまります。

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