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スレッドNo.228

論語でジャーナル’26

24,曾子(そうし)曰く、君子は文を以て友と会し、友を以て仁を輔(たす)く。

 曾子は言われた。「君子は学問によって友人を集め、友人との交わりによって仁徳を高めていく助けにする」。

※浩→曾子が、悪友ではなく畏友(いゆう:尊敬している友人)を見つけることの大切さを説いた部分で、学問によって知り合った友人であれば相互に仁徳(人間性)を高め合っていける可能性が高いということです。「文」を吉川幸次郎先生はあっさり「文化」と訳されていますが、貝塚茂樹先生は「文」は周代の古典「詩」「書」「礼」「楽」などをさす、とされています。こういう古典の学習によって友と会合することで、確かに互いの人格の向上が実現するということは深く納得できます。実際、アドラー心理学が「ご縁」となって、たくさんの人々との交流ができました。そして、その中で自分も年齢に関わりなく成長を続けることができています。「畏友」という新鮮な響きの言葉をここで知りました。これまでまったく使ったことのなかった言葉です。「畏敬の念」と言いますから、ほんとはもっと頻繁に使ってもいい言葉です。私が無知だったのかもしれません。アドラー心理学が、野田先生のお言葉で言えば「骨がらみ」になるためのプロセスは、「読」「思」「修」で、文献を読んだり、講義を聞いたりが「読」、自分で咀嚼するのが「思」、それを実践するのが「修」です。そして、さらに大切なのは「仲間との交流」です。これをすることで、学んだことが独善に陥ることなく、理論の誤解も、技術の誤用も避けられます。ひとりよがりになるのは「私的感覚」に凝り固まっているからで、「共通感覚」や「共同体感覚」にもとづいた生き方ができるためには、仲間との交流が必須です。「古典」を通じた交流では、かつて高梁工業高校で同僚だった平田信彦先生を思い出します。2018年の暮れに、平田先生とやはり当時の同僚のデザイン科・徳山容(やすし)先生と英語の岡田純爾先生とで飲み会をしました。この方々長く年賀状も交換していました。それでも、2025年を区切りに私も「年賀状じまい」をしました。
 「顔淵篇」はここまでで、次回から「子路篇」です。

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