論語でジャーナル’26
4,樊遅(はんち)、稼を学ばんことを請う。子曰わく、吾、老農に如(し)かず。圃(ほ)を為(つく)ることを学ばんと請う。子曰く、吾老圃(ろうほ)に如かず。樊遅出ず。子曰く、小人なるかな、樊須(はんす)や。上(かみ)礼を好めば、則ち民は敢えて敬せざること莫(な)し。上(かみ)義を好めば、則ち民は敢えて服せざること莫し。上(かみ)信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざること莫し。それ是(か)くの如くなれば、則ち四方の民は其の子を襁負(きょうふ)して至らん。焉(な)んぞ稼を用いん。
樊遅が穀物栽培について学びたいとお願いした。先生は断られた。「とても篤農家には及ばない」。樊遅が今度は野菜栽培について学びたいとお願いした。先生はまた断られた。「とても園芸家には及ばない」。樊遅が出ていってから先生が言われた。「樊須(樊遅の実名)はなんと徳の少ない小人であろう。為政者が礼を大切にすると、人民は彼を尊敬しないものはなく、為政者が正義を愛すると、人民で彼に服従しないものはない。為政者が信頼を尊ぶと、人民には誠実でないものがいなくなる。そのようになると、四方の人民が自分の幼い子を背負って、その為政者のところに集まってくる。どうして、自分自身で農作などをする必要があるのだろうか(君子は本業である政治に専心すべきであるのに)。
※浩→樊遅から農作業の技術について質問を受けた孔子が、農作は君子には些末事で、儒学門徒の本分である礼と義と信が根幹だと説いています。自分を養うための農業ではなく、無数の人民に安全と幸福を与えるための徳治政治を実践するために徳の修養に努めよと孔子は言いたかったのでしょう。樊遅は知力や徳性があまり優れていないような質問をして、やや三枚目な存在だったのでしょう。それでも孔子は、樊遅も一人前の君子として取り扱い、有徳の君子になるための王道について語っています。孔子が若いときは貧乏で、農作に従事したことから、樊遅はたずねたのでしょうが、成人後の孔子は農作から離れて、ひたすら知識人としての生活をしています。そのため、樊遅の質問をはねつけたのでしょう。「君子のやることは他にある」と。これは孔子が農業を軽視しているのではなく、役割分業を言っているのでしょうか。古代ギリシャでソクラテスは、終日アゴラを散策しながら若者たちと問答したというのも、当時は奴隷制で、生産活動を奴隷に任せて、自由市民はスコレー(暇、余裕)を堪能できたことと結びつきそうです。
樊遅は「顔淵篇」で、「仁」について質問していました。孔子は「人を愛す」とだけ答えていますが、それだけでは樊遅は理解できなかったでしょう。このあと、また「仁」についてたずねますが、さて、孔子の回答が気になります。