論語でジャーナル’26
8,子、衛の公子荊(こうしけい)を、善く室に居ると謂う。始め有るに曰く、苟(いささ)か合(あつま)る。少し有るに曰く、苟か完(まった)し。富(さか)んに有るに曰く、苟か美(よ)。
先生が、衛国の王族の公子荊のことについて言われた。「家計の切り盛りが上手である。はじめて財産ができたときには、『これでやっと足りる』と言い、少し財産が貯まってきたときには、『これでようやく一人前になった』と言った。大きな財産ができたときには、『なんとかこれで立派になりました』と言った」。
※浩→孔子が家産を蓄積することに巧みだった公子荊について評価しています。「室」は家の私有財産。「居」は元来“座る”の意味で、ここから“忍耐を伴った持続的な処理”を意味し、さらに“貯える”意味となったと言われます。孔子は「浪費を嫌いながら蓄積することの大切さ」を説いています。公子荊は、財産が多少貯まったくらいで「自分はお金持ちである」と慢心せずに、「これでやっと足りる」と、すっかり大きな財産ができても、「なんとか良くなった、立派になった」と、まことに謙虚です。謙虚なところを孔子が高く評価しましたが、財産の使い方は適切だったかどうか、いささか気になります。例えば、蓄財ができたら、そこから世のため人のために一部を提供したりしたか。あるいは、逆に、吝嗇(りんしょく)を極め、ケチを通したか。吝嗇なら、ディッケンズの「クリスマスキャロル」を思い出します。
ロンドンの下町で商売をしているスクルージは、強欲で、エゴイストで、ケチで、思いやりのカケラもない人物として嫌われていました。慈善的な寄付なんていうのはもっての他、7年前に亡くなった共同経営者のマーレイの葬式から、副葬品であるお金を持ち去るほどの強欲ぶりでした。そのマーレイの幽霊が、クリスマスの前日の夜スクルージの前に現れます。そして、なぜか鎖でがんじがらめになった姿で「金銭欲にまみれた人間にどんな悲惨な運命が待っているか」ということを教えるのです。そしてスクルージの生き方を変えるため、3人の幽霊が今から姿を現すということを言い残していきます。
3人の幽霊は、それぞれ「過去」「現在」「未来」の精霊としてスクルージの前に順番に姿を現しました。そして彼に関係するさまざまな光景を見せるのです。それは彼が忘れていたこと、思い出したくないこと、見たくもないことばかりでした。目の前に現れる光景に心を揺さぶられ、疲れ切った彼は、未来の精霊が見せた最後の場面に衝撃を受けるのです。
この作品は、あの有名な村岡花子さんの翻訳があります。またじっくり味わってみたいです。
落語で吝嗇といえば、まず思い出すのは、「味噌蔵」です。たっぷりお楽しみください。
この物語の主人公、ケチ兵衛は味噌屋を商売としている。仕事はしっかりするのにまだ独身です。ある日、親戚一同が集まり、どうしても嫁をもらわないというのなら、世間に対してみっともないから今後のつきあい断ると脅され、、結局、ケチ兵衛は、泣く泣く嫁をもらうことになりました。嫁をもらっても、同衾しません。子どもでもできたら入費がかかるからと。ところが、ある寒い夜、例によって独り寝をしていますが、寒くて仕方ない。まさか丁稚を抱いて寝るわけにもいかない。2階でギシッと物音がします。「なんだ、鼠か?鼠にしては音が大きい。そうか!あたしゃ2階に嫁がいたんだ。あんな大きなお尻で寝返りでもうったら、畳がすり減る。そうか、嫁と寝りゃいいんだ」。奴さん、枕を抱えて2階へ上がり、嫁さんの床へするりと入り込む。嫁さんは大喜びで、そういうことが何度か続いたある日のこと。嫁が「あなた、わたしできちゃったんです」。「できちゃったって、できものか?そんなの吸い出しで出してしまいな」「おできじゃございませんよ。見るものを見ないんです」「見るものをみないって、芝居でも見たいのか?やめとけやめとけ、あんなもの無駄遣いだ」「どう言えばいいんでしょうね。赤ちゃんができたんですよ」「えー!大変だ」。というわけで、番頭に泣きついて、「どうしようか?」「どうしようかって、旦那様おめでとうございます」「人が困っているのに、おめでとうはないだろ」「それならいっそお里へお返しになったら?」「そんな薄情なことはできないよ。身ごもったからといって、実家へ返すなんて」「離縁するんじゃありませんよ。初産はお里でなさるほうが、奥様も気が楽ですし、ご実家の親御さんもお喜びになるでしょう」ということで、番頭さんの助言に従って、奥さんを実家へ返します。月満ちて、お里から男の子が誕生したとの知らせ。「どうしようか」とまた番頭さんに相談した結果、ケチ兵衛は小僧の定吉を連れて、挨拶に行くことにしましたが、番頭に「今夜はひょっとしたら泊まることになるかもしれない。火の用心にはくれぐれも気をつけておくれ。万一、近所から火事が出たら、蔵の壁を味噌で目塗りしなさい」「どうしてですか?味噌がもったいないでしょ」「焼けた味噌は香ばしい。剥がして皆の朝飯のおみおつけの具にすれば無駄がない」と言い残し、定吉を伴って出て行きました。
旦那が出かけてしまうと、奉公人たちは普段の食事のまずさを番頭さんに訴えます。それもそのはず、今までは具のない味噌汁しか出なかったのですだから。「この前、珍しく味噌汁に具が入っていたんですよ。でも、箸でつかんでもつかんでも取れない。よく見ると自分のめん玉が映っていたんです。自分のめん玉を箸でつかむようになっちゃあ、世もおしまいだ」。番頭さんも、もちろんそのつもりで、帳面をドガチャカドガチャカ誤魔化すことになった。皆から注文を聞くと、刺身から鰤の照り焼き、うな丼、卵焼きと出てくる出てくる、最後に横町の「から屋に田楽あり」と書いてあったので、「それも!」と言うと、番頭は「から屋って店があったか?」「ほら、角から2件目の、いつもおからを買いに行く……」「ありゃ、から屋でなくて豆腐屋だよ。うちじゃあ豆腐なんか買わないから、から屋って思ってたのか。涙ぐましいねえ」と、それらをすべて注文して、田楽は冷めると美味しくないから、二、三丁ずつ焼けたら持ってきてもらうことにしました。それから、飲んで食ってのどんちゃん騒ぎ。帰ってこない旦那の悪口を言いながら皆上機嫌です。そんなとき、まさかの旦那のお帰りです。店の近くまで帰ると、どこかの家でどんちゃん騒ぎ。さらに近づくと、自分の店。大戸を叩いて番頭を呼び出すと、すでにベロンベロンに酔っ払っています。奉公人たちは驚いて、急いで片づけるもあとの祭りで。すっかりバレていまいました。旦那はカンカンに怒り狂って、「今夜の不始末のつけに、お前たちは一生無給金で働いてもらう」と、叱りつけます。そんなとき、「焼けてきました~」と横丁の豆腐屋の声。旦那は「何、焼けてきた?火事だよ。どんな感じだ?」「二、三丁焼けてきました、あとからどんどん焼けてまいります」「大変だ、これは」と、慌てて戸を開けると鼻先に田楽の匂いがプーン。「いけない!味噌蔵に火が入った」。
おあとがよろしいようで。