論語でジャーナル’25
「論語でジャーナル」なのに、『老子』のお話です(笑)。
「老子」64章──
その安きは持しやすく、そのいまだ兆(きざ)さざるは謀(はか)りやすく、その脆(もろ)きは泮(と)きやすく、その微なるは散らしやすし。これをいまだ有らざるになし、これをいまだ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木は、毫末(ごうまつ)に生じ、九層の台は、累土に起こり、千里の行は、足下に始まる。なす者はこれを破り、執る者はこれを失う。ここをもって聖人は、なすことなし、ゆえに敗るることなし。執ることなし、ゆえに失うことなし。
民の事に従うや、常にほとんど成らんとするにおいてこれを敗る。終わりを慎むこと始めの如くんば、すなわち事を敗ることなし。ここをもって聖人は、欲せざるを欲して、得がたきの貨を貴ばず、学ばざるを学んで、衆人の過つところを復(かえ)し、もって万物の自然を輔(たす)けてあえてなさず。
安定しているものは持ちこたえやすく、事のまだ兆(きざ)さぬうちは手が打ちやすい。固まっていないものは溶かしやすく、目立たないものは散らしやすい。事の生じないうちにうまく処置し、乱れないうちに治めておくことが肝心だ。ひとかかえもある大木でも、ちっぽけな芽から大きくなり、九層の高台も畚(もっこ)1杯の土の積み重ねから着手し、千里の道のりも足もとの一歩から始まる。うまくしてやろうと力む者は失敗し、握って離すまいとする者は取り逃がす。だから無為の聖人は、無理をしないから失敗がなく、しがみつかないから逃がすこともない。
世の人が仕事をする場合、いつもできあがりかけたところでやりそこなう。最後の仕上げを始めのように慎重にやれば、仕事をしくじることもないのだ。だから無為の聖人は、欲望のないことを欲し、得がたい貨(たから)をありがたがらない。博学を捨てることをおのれの学問とし、人々の行き過ぎを本来の姿に戻し、万物のあるがままなるあり方をまっとうさせて、無理に作為を加えないのだ。
福永光司先生の解説では、老子の無為の思想の根底にあるものが、人生の禍敗に対する鋭い凝視であり、この世的な営みの崩れやすさに対する深い省察であることを感じさせる1章である、とあります。ここにはおなじみの格言・俚諺が多く含まれています。最も有名なのが「千里の道も一歩から」として有名な、「千里の行は、足下に始まる」でしょう。ここを読むことで、「治療よりも予防」「初期対応が大事」「鉄は熱いうちに打て」「治にいて乱を忘れず」、野田先生の「原稿用紙500枚書くには、まず最初の一文字を書く。次にまた一文字書く」、親から教えられた「あとの後悔先に立たず」、『徒然草』の「高名の木登り」などへと連想が拡がります。自分の人生にも活かしていることがたくさんあります。こんなにたくさんの格言が一度に登場すると、具体的なエピソードを選ぶのが大変ですが、最も最近で身近なことでは、庭の草取りが、ちょっとさぼると大変です。わが家のわずかばかりの庭木に関しては、2年前くらいからご近所のお勧めで、プロの庭師さんに年に2回剪定していただいています。最も悩ましかったのは、つるバラ(木香薔薇)でした。これは因縁もので、ルーツは亡き母まで戻ります。西大寺(現在の東区西大寺)に住んでいた1983年に、それまでの平屋2棟棟割り長屋の借家から、西大寺駅前の一戸建てに引っ越しました。そこはもとは大家さんの娘さん一家の住居でしたが、新築へ移動されて空き家になったのを知った母が、大家さんに直接交渉(今ふうに言えば“ガチ交渉”)して獲得しました。ですから、普通の借家と違って、きちんとした「屋根&シャッター付き」のガレージがあり、かなりの面積の芝生の庭もありました。あるとき母が玄関横につるバラを植えました。これは成長が早くてどんどん茂って、玄関横の壁を覆い尽くすようになりました。(当時の)妻が母から一輪を譲り受けて、彼女の実家の門の横に挿し木をしました。それがまた成長して、門扉横の塀を覆いました。その後、離婚しましたが、ずーっと年月が過ぎて、定年退職してから、ふとしたきっかけで「お友だちづきあい」程度に関係が戻りました。われらが一人息子は倉敷芸術科学大学・大学院在学中に「スタジオジブリ」に採用となり、上京・自立していて、彼女は一人暮らし。私は母に先立たれて一人暮らし。それで、行き来するようになり、一時は「復縁」の可能性も否定できないくらい、親密になりました。そうした時期に、門扉の横のつるバラを、彼女が「これは西大寺でお母さんからいただいた一輪がこんなになった」と説明してくれて、今度は私に一輪を切って挿し木するようプレゼントしてくれました。それを現在のわが家の庭に挿し木したところ、伸びて伸びて、庭に設置している物置の屋根を覆い尽くし、ベランダまで来そうな勢いでした。まるで母と元妻の霊が宿っているような因縁を感じました。5月の花咲く季節は庭がまっ黄色になって、桃源郷のように美しいですが、散ったあとの庭のお掃除が大変です。伸び放題の枝を気にしていたら、ちょうど2年ほど前にご近所の奥さんのご紹介で庭師さんを紹介していただきました。見事に剪定していただいて、元妻の怨霊?から解放された気分です。地面の雑草は自分で抜かないといけません。冬の間はほとんど草はなくて楽ですが、春先からどんどん増えてきます。スミレなどはきれいなので残しておきます。梅雨時にはどっと生えて、一面野原のようです。晴れ間を縫っては抜きますが、腰が痛くなるので、そこそこに済ませていて油断すると、あっという間に庭中覆い尽くします。ここへはいろいろな種類の小鳥がやって来て、くつろいだり遊んだりして飛び立っていきます。梅雨の間に雑草抜きをしておかないと、真夏になると、暑さを口実にしてきっとさぼると思います。そうだ!「その微なるは散らしやすし」「千里も行も足下に始まる」。雨の間を見てはこまめに抜くことにしよう。毎年春と秋に来てくださっていた庭師さんは、昨年、脳梗塞を患われて、来られなくなりました。仕方なく、遅れ遅れながらも自分で枝の剪定を始めました。不器用な詩のことですから、できあがりは不細工です。それでも隣近所がきれいにされていますから、そこそこにこぎれいにしておかないと、「見栄の大森」の面目がありません。(まだまだまだまだつづく)