論語でジャーナル’26
13,子曰く、苟(いや)しくもその身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。その身を正しくすること能(あた)わずば、人を正しくすること如何(いかん)せん。
先生は言われた。「もし自分自身が正しくしているのであれば、政治を行うことに何の問題があるだろうか。自分の行動を正しくすることができないのならば、他人を正しい方向に導くことなどがどうしてできるだろうか」。
※浩→儒学の政治思想の根本にある、率先垂範の修身について述べています。他人にあれこれ注意する前にまず自分自身が正しくあらなければならないということですが、現在の政治を見るにつけ、この当たり前のことが、政治家たちに守られていないことに怒りすらおぼえます。疑惑を受けた政治家に記者が質問すると、まともに答えるどころか、逆ギレして“脅し”をかけたりしています。学校でこそ教師にこの「率先垂範」の修身を期待したいものです。最近は、自分の性欲を抑えられず、生徒に対する教師の性犯罪が頻発しています。警察官や教師が泥棒で捕まったりします。もちろん、“聖人君子”であれというのではありません。「人間は不完全」ですから、あやまちを犯すでしょうが、それにしても、たくさんの“選択肢”の中から選りに選って“性的犯罪行為”や“窃盗”を選ぶことはないでしょう。これはその職業の人には“選択できない可能性”です。家庭で躾けを受けなかったのでしょうか。老子なら「大道廃れて仁義あり」というところでしょうか。