論語でジャーナル’26
19,樊遅(はんち)、仁を問う。子曰く、居処(きょしょ)は恭(うやうや)しく、事を執りて敬(つつし)み、人と与(まじ)わりて忠あれば、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖(いえど)も、棄てられざるなり。
樊遅が仁について質問した。先生は言われた。「日常の何くれない生活も恭しく、仕事をするときには慎重で、他人と関わるときには誠実であれ。そういう人なら、たとえ夷狄の住む野蛮な地域に行っても、決して放っておかれないはずだ。
※浩→前に「仁」について質問して、「人を愛す」「人を知る」と答えられて、さっぱり意味がわからなかった樊遅に、ここでは難しいことは抜きにして、手近な起居ふるまい、友人との交際について話しています。「恭」「敬」「忠」の3つの徳です。これらは、文明地域である中国内だけでなく、夷狄の地に行ったとしても忘れてはいけない。吉川幸次郎先生は、かつての西洋諸国や日本の植民政策に、こういう心構えが乏しかった、と指摘されています。「学而篇」の、「曽氏曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。人のためにはかりて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」を思い出します。この人は、孔子より46歳年下の門人では最も年少のグループに属しました。そして儒学の正統を継ぎます。その門下の子思(孔子の孫)の孫弟子から孟子が登場もします。この謙虚さはさすがだと思います。私も、たびたび復唱して自戒しています。油断すると“お調子者”の地(じ)がすぐ出てしまいますから。