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スレッドNo.252

論語でジャーナル’26

24,子貢問いて曰く、郷人(きょうじん)皆これを好まば何如(いかん)、子曰く、未(いま)だ可ならざるなり。郷人皆これを悪(にく)まば何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人の善き者これを好み、その善からざる者これを悪むに如かざるなり。

 子貢がたずねた。「村人全部から好かれるという場合、その人物はどうでしょうか」。先生は言われた。「まだ十分ではない」。子貢が言った。「では、村人全部から憎まれるというのはどうでしょか」。先生が言われた。「まだ十分ではない。村人の中で、善い人から好かれ、悪いから憎まれる者に及ばない」。

※浩→大衆すべてから好かれる人物は八方美人です。また、すべてから憎まれ嫌われる人物は、性格に欠陥があって、「同して和せず」になりやすい。SNSへの投稿で多数の「いいね!」をもらえたからといって、それで投稿者の人格が評価されたことにはならないでしょう。アドラー心理学では、「共同体感覚」を価値判断の基準にしますが、よく似た用語に「共通感覚」というのがあります。これは「多数の人に共通」の価値観ということです。ある特定の個人にしか通用しない「私的感覚」に比べると客観性は大きいでしょうが、それが「真実」かどうかは疑わしいです。みんなが賛成したからといって、正しくないこともあります。ですから、「多数決」はほんとは危ないです。多数で間違いを犯すこともありえますから。
 「善い人から好かれ、善くない人から憎まれる人物がより望ましい」と締めくくっています。これだと「同して和せず」になりにくいです。昔、ルソーの社会契約論を学んでいて、「一般意志」と「全体意志」の違いについて、あれこれ思案したことがあります。今の、「共同体感覚」と「共通感覚」の違いを考えるようになって理解できました。「全体意志」は個々の具体的な意志の総計で、「一般意志」は抽象的な“理念”です。

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