論語でジャーナル’26
27,子曰く、剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。
先生が言われた。「無欲、果敢、質樸、訥弁は仁に近い」。
※浩→「学而篇」「陽貨篇」の「巧言令色鮮し仁」を逆方向から言っています。剛毅木訥そのものが「仁」ではない。でも「仁」に近いということです。古注では、“剛毅木訥”をバラして、「剛」は無欲、「毅」は果敢、「朴」は質朴、「訥」は訥弁・遅鈍と解釈していましたが、荻生徂徠は、まとめて一塊の熟語として当時からなじまれていたと考えたようです。“切磋琢磨”も、一語一語にそれぞれ意味がありました。以前に出ましたから、ここでは省きます。“巧言令色”でない“剛毅木訥”にさらに詰めていくと、ついには老子の「文明否定」「太古への復帰」「無為自然」になりそうです。孔子はそこまでは行かないで、あくまで「中庸」路線なのでしょう。私は、野田先生から「老荘思想は土着思想だ」と教えられる前には、逆説的な処世術を説く老子の思想に助けられたことがあり、処世術としては捨てがたい魅力を感じています。いいじゃないの、使えるものは使えば。「使用の心理学」です。こんなこと言っていると、野田先生先生に、「こら!」と叱られそうです(笑)。その覚悟で、せっかく「老子」が出ましたので、文明否定・太古復帰を述べた1篇を引用しておきます。
小国寡民、什伯の器ありて用いざらしめ、民をして死を重んじて遠く徒(うつ)らざらしむ。舟輿(しゅうよ)有りと雖も、之に乗る所無く)、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。人をして復(ま)た縄を結びて之を用い、其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽します。隣国相い望み、鶏犬の声相聞こえて、民老死に至るまで、相い往来せず。(第八十章)
(現代語訳)
小さな国少ない住民。さまざまな文明の利器があっても用いないようにし、人民に生命を大切にして遠くに移住させないようにする。かくて舟や車があってもそれに乗ることはなく、武器はあってもそれを取り出し列べて使用するようなことはない。人民に今ひとたび太古の時代のように縄を結んで約束の徴とさせ、己の食物をうまいとし、その衣服を立派だとし、その住居に落ち着かせ、その習俗を楽しませるようにする。かくて隣の国は向こうに眺められ、鶏や犬の鳴き声は聞こえてくるほどに近くても、人民は年老いて死ぬまで他国に行き来することがない。
以上は、福永光司先生です。グローバルな世界となった現代では、新型コロナがあっという間に世界中に広がりました。「老子」の“小国寡民”のような暮らしをしていれば、こういうこともなかったでしょう。一縷の望みとしては、脱炭素社会に向けての国々の工夫が進められていることでしょうが、とてもとても“小国寡民”にはならないでしょう。そうそう、野田先生は「キブツ」だ理想だとおっしゃっていました。