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スレッドNo.260

論語でジャーナル’26

28,子路問いて曰く、何如なるをかこれこれを士と謂うべき。子曰く、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たる、士と謂うべし。朋友には切切偲偲(せつせつしし)、兄弟には怡怡如(いいじょ)たり。

 子路がおたずねした。「どのような人物を士というべきでしょうか」。先生が言われた。「親切に励まして、なごやかに支援するような人が士である。友だちには、しっかりとした励ましをして、兄弟には、なごやかな触れ合いをしなければならない」。

※浩→書籍上ではほんの少し前に、子貢が同じ質問をしています。ちなみに、前はこうでした。
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 子貢問いて曰わく、何如(いか)なるをか、これこれを士と謂うべき。子曰く、己れを行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂うべし。曰く、敢えてその次を問う。曰く、宗族(そうぞく)は孝を称し、郷党(きょうとう)は弟(てい)を称す。曰く、敢えてその次を問う。曰く、言(こと)は必ず信、行は必ず果(か)、硜硜然(こうこうぜん)たる小人なるかな。抑(そもそ)も亦以て次と為すべし。曰く、今の政に従う者は何如(いかん)。子曰く、噫(ああ)、斗筲(としょう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らん。
 「士」は官吏か、官吏を目ざす人。そういう人には、朋友と兄弟との接し方の両方が必要であると、「切切偲偲+怡怡如」と長い熟語で説明しています。「切切偲偲」は、“相切責するかたち”(励まし合う形容)、「怡怡如」は“和顔のかたち”(穏やかな愛情の形容)。吉川幸次郎先生の推量では、「ただ固いだけではいけない。やわらかくもないといけない。前者は朋友に、後者は兄弟に対して」と。もっと短く、「朋友には信、兄弟には孝」とも言えたのでしょうが、子路にはこれでは抽象的すぎたのでしょうか?
 アドラー心理学では、“kind and firm”(やさしくきっぱり)というフレーズがありました。1998年の名古屋総会に招聘したジェーン・ネルセン先生の言葉だったと思います。「やさしい」だけでは甘やかしになりそうで、「きっぱり」だけでは冷たすぎそう。やさしい言葉で話し合い、決まったことはきっぱり実行する、というような意味でした。関連して、「言ったことは必ず実行する」「実行しないことは言わない」というアイディがあります。信頼関係を築くための秘訣のようです。

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