論語でジャーナル’26
29,子曰く、善人、民を教うること七年ならば、亦(また)以て戎(じゅう=いくさ)に即(つ)かしむべし。
先生が言われた。「善人が七年間にわたって人民を教育したら、人民を優れた兵士として戦いにつかせることができる」。
※浩→「即戎」の「即」は「就(つ)く」、「戎」は「兵」で、「即戎」は「軍事に従事させる」。古注の解説です。善人が人民を7年間教育すれば、戦争をさえさせることができる。戦争は肯定できない反価値的な行動ですが、「善人」が教育すれば、それにさえ人民を従事させることができる、というふうに読めます。これは吉川幸次郎先生の解説です。さらに先生は、伊藤仁斎の、「善人の道は、」もと慈仁化導をもって務めとなし、刑殺威厳をもって心となさず。然れども七年の久しきに至れば、すなわち民もまた感化せらるるところあり、おのずからよく長上のために死す、善の人に入りやすきことかくのごとし」を引用されました。ずーっと以前の「為政篇」に、「之を導くに政をもってし、之を斉うるに刑をもってすれば、民免れて恥じなし。これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥有りて且つ格(ただ)し/格る(いたる)」とありました。儒家の立場では、「刑殺威厳」はもってのほかですが、仁者が7年も教育すれば、民は国のためにはすすんで兵士にもなるということのようです。今の日本では、後半はないですが、前半の仁にもとづく教育・政治は、現状が情けない状態であるだけに、心から望まれます。大多数の国民が政治離れして、好き勝手に暮らし、国政選挙の投票率は、長い歴史を経て獲得された大事な権利でありながら、選挙民の関心は薄く、50%に満たないことが多いのが現状です。投票には行かないのに、ことあるごとに政治の現状は批判し、それでいて社会や他者への無関心では、この国に未来はあるのでしょうか?耳にイヤホン、手元はスマフォに釘付けという、おんなじ格好の若者が氾濫しています。あの人たちの脳の中はどうなっているのか気になります。