論語でジャーナル’25
『徒然草』へ脱線してしまいましたので、『論語』に戻ります。
子曰く、富(ふ)にして求むべくんば、執鞭の士といえども、吾これをなさん。もし求むべからずんば、吾が好むところに従わん。
先生が言われた。「富がもし正当な道で手に入れられるならば、鞭をふるう御者にだって自分もなるだろう。もしも正当な道で手に入れられないならば、自分の好みに任せて仕事をするだろう」。
※浩→冷静にこの一条を読み返してみると、『徒然草』に結びつけたのは乱暴だったかもしれません。ここは要するに、「正当な道で富を得られるのであれば、手段はたとえ卑しいとされる御者をも自分はするし、正当な手段で富を得られないなら、そういうことから離れて、自分の趣味にでも浸るよ」と言っているのでしょう。とてもシンプルでした。調子に乗りすぎたようです(笑)。
『徒然草』よりも、むしろ、「起きて半畳寝て一畳(おきてはんじょうねていちじょう)」のほうがふさわしかったかもしれません。織田信長の言葉だとか諸説あるようですが、「人は必要以上の贅沢を望むべきではなく、妥協や満足すべき」という意味のことわざです。人はどれだけ大きな家に住んでいても、起きているときは半畳、寝ていても一畳のスペースしか使わない。大きなスペースが与えられても1人が占領するスペースは変わらないので、贅沢を望まず妥協し、満足すべきだという意味のようです。この線で押し切りましょうか。さらに「天下取っても二合半(てんかとってもにごうはん)」と続く場合があります。「人は1度の食事で二合半以上食べることはできない、たとえ天下を取ってもそれは変わらないので贅沢を望むべきではない」という考えで、起きて半畳……と同じ意味です。
そういえば、現在、わが家では自分の生活に不必要な物が視界から消えつつあります。収納スペースが結構たくさんあって、しかも庭の片隅にプレハブの物置まであります。グーグルの地図を拡大してわが家をみると、その物置もちゃんと載っています。長く住んだ西大寺の借家から1996年に市中心部(西古松)のマンションに引っ越ししたとき、不要な品物をどんどん処理してきました。断捨離ですね。そのマンションは上の階の音がうるさくて我慢できなくなって、1年1か月で現在の家に越しました。そのとき収納庫へしまったままの品物がずいぶんあります。すでに28年住んでいますが、一度も出したことがありません。さらにキッチンをシステム化するとき、台所用品をたくさん物置へしまいましたが、工事が終わって必要なものだけを取り出して食器棚に収めました。多くの物を物置に残したままです。もっともっと年月が経過して生きていれば、ほんとに「起きて半畳」になりそうです。背広(スーツですか)なども、在職中は毎日着替えられるように、数着持っていましたが、今では洋服ダンスに吊り下げたままです。月1回の講演で着るだけで、普段はカジュアルなスポーツウエアで年中過ごしています。