論語でジャーナル’25
12,子(し)の慎むところは、斉(さい)、戦、疾なり。
先生が慎重を期せられたのは、「精進潔斎」と「戦争」と「病気」に対してであった。
※浩→「斉」は「斎」、意味は「斎戒」。祭政一致の魯にとって、国の大事、つまり最も重要な国家的行事は、祭祀と戦争でした。孔子は、祭祀にたずさわる前の斎戒沐浴(さいかいもくよく)を厳重に実行し、また戦闘に対して手抜かりなく準備したことは、魯国という都市国家の市民としての責任を忠実に果たしたことを意味します。衛生状態が悪く、医学が未発達だったこの時代では、病気にかかれば、静養につとめるのが最上の対策だった。強健な孔子も病気にかかると、無理をしなかった。良識に富み、幾分古風な市民として、個人として、公私の生活を送った孔子の面影がこの個所によく出ていると言われます。孔子は、故国・魯を愛し、祭祀には斎戒沐浴で臨み、戦時に備える準備を怠らず、病気にかかったとき静養を心がける「よき市民」として生活しました。
野田先生は、今の日本の死亡率が低いのは、医学の進歩によるよりも、公衆衛生がしっかりしているからだとおっしゃっていました。なるほど、コロナ禍においても、マスク着用をはじめ手指の消毒とか換気とか、日本ではほとんどの人がきちんと実行してきました。もしもすべての国民または日本在住者が実行していれば、早々に感染ゼロになっていたでしょうに、一部に不心得者がいたために、長く引きずってしまいました。
祭祀について。わが家の日常は、母が励行していたお仏壇へのお供えは今も毎日欠かさず、お盆やお彼岸などには、今は母の好物だった「おはぎ(ぼた餅)」をお供えします。父は、私とは正反対にとても器用な人でした。絵も字も上手でした。母も妹も器用で、私だけ不器用です。その代わり私は口は達者で、それで十分補っています(笑)。
孔子は、戦時にも備えたそうですが、こればかりは、戦後長く日本では不必要でしたが、最近はそうもいかなくなってきました。残念です。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できない情勢です。個人のつきあいでは、信義に欠けるような人とはつきあわなければいいでしょうが、国と国との間はなかなか難しいです。
「病気になったら静養」は、もちろん、ぬかりなく実践しています。というより、あまり病気になりません。バランスのある食事と、定期的な運動と、身の丈に合った仕事で、少し無理をしたとき風邪を引くくらいでしたが、コロナでマスクを着用し、夜寝るときも着用していると、ここ何年かはまったく風邪を引かなくなりました。加齢とともに血圧が高くなりましたが、これもお薬がよく効いて、理想値を維持しています。睡眠が浅くなるのが悩みでしたが、これは現在は気にしなくなりました。アドラーは「不眠」の相談を受けたら、「眠れないなら眠らなければいい」とアドバイスしています。「悩むことさえしなければ、そのうち眠るだろう」というような楽観的な考えのようです。ある不眠の奥様がアドラーに相談しました。彼女は、明らかに夫にひどく腹を立てていて、そして不眠を訴えていました。アドラーは彼女に言いました。「今夜眠れないと感じたら、あなたがご主人にしてあげられる何かとても素敵なことについて、どんなことができるかを考えてください。そして、明日の朝私に電話をして、思いついたことを報告してくださいね」。翌朝、彼女は電話をかけてきて言いました。「ああ、アドラー先生。ごめんなさい。私、何もご報告することがないんですの。一晩中ぐっすり眠ってしまったものですから」。