論語でジャーナル’25
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A 子の雅言(がげん)するところは詩と書、礼を執(おこな)なうも、皆雅言するなり。
先生が標準語で発音されるのは、『詩経』と『書経』とである。礼を行う人もみな標準語で発音した。
B 子の雅(つね)に言うところは、詩、書、執礼、みな雅に言うなり。
先生がいつも話題にしたことは、『詩経』、『書経』と「礼を行う」ことだった。
※浩→「雅」の解釈でずいぶん意味が違ってきます。Aは古注を取り入れた貝塚茂樹先生の解釈で、Bは朱子の新注を取り入れた吉川幸次郎先生の解釈です。前者は、「雅言」を「正言」と読み、さらにこれを「標準語」だとしている。後者は「雅は常」と訳して、「常に言う」すなわち「話題にする」と訳しています。
いずれにしても、人間の生活の法則は、空(くう)な個人的な直観によっては得られず、必ず過去のすぐれた言語を読むことから発見されるとしています。「温故知新」であり、「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)」であり、「吾れ嘗て終日食らわず。終夜寝ねず、以て思う。益なし。学ぶに如(し)かざるなり」です。
Aの「標準語」を使う場合というのを、現代で言うと、私たちは、公式の場や特に改まった場では標準語を使いますが、友だちどうしや家族や特に親しい間柄では「方言」を使っています。カウンセリングも講義も標準語で話しています。私のカウンセリングの指導者Big Twoは國分康孝先生と野田俊作先生です。國分先生は大阪府出身(本籍は鹿児島県)です。國分先生はアルバート・エリスの論理療法を日本に紹介されたほか、1967年ごろには「構成的グループエンカウンター」を日本に普及されました。関西学院大学~多摩美術大学~~東京理科大学教授~筑波大学教授を歴任、ご退官後は聖徳栄養短期大学、東京成徳大学などを歴任されました。私が國分先生に出会ったころは、東京理科大学にご勤務でしたが、講義もカウンセリングも関西なまりでした。薩摩の西郷どんを思わせる堂々たる体格で、学校相談界のドンという印象でした。野田先生は、大阪生まれで大阪育ちで大阪暮らしでしたから、日常語も講演もカウンセリングももちろん大阪弁でした。関西の人の多くは、どこへ行かれてもどこで暮らされても、関西弁を通されるようで、この姿勢には頭が下がります。野田先生は、「カウンセリングは大阪弁に限ります。東京弁だと堅苦しい。『そんなこと駄目ですよ』と言うより『そんなんあきまへんで』と言うほうが親しみがある」とおっしゃっていました。その影響を受けて、私もときどきカウンセリングで大阪弁が出ます(笑)。野田先生に出会う前は、もっぱら國分先生のご指導を受けていました。日本カウンセリングアカデミー主催の「カウンセラー養成講座」を初級から順に受けました。上級まで進んだとき、國分先生に紹介者になっていただいて「日本カウンセリング学会」に加盟しました。その國分先生が、2018年4月に逝去された(享年87歳)ことを、ホームページで知り大変ショックを受けました。受講生の未熟な質問にも気取られることなく、それはそれは丁寧にお答えくださっていました。特に印象に残っているのは、奥様の久子先生とご一緒に担当された「グループエンカウンター」です。もう30年以上前のことです。1991年3月下旬に、東京麹町「弘済会館」で3日間ありました。ちょうどこのころ、岡山で初めて野田先生のオープンカウンセリングを見学していますが、まだアドレリアンではありませんでした。「エンカウンター」には「非構成型」と「構成型」があり、國分先生は「構成型」で実施した。エクササイズが決まっています。そもそも「人見知り」の激しい私ですが、このグループ体験によって、ずいぶん「人づきあい」が良くなったと自負しています。何十人もの参加者が広いフロアを歩き回って、行き会う人ごとに挨拶を交わし握手をしてまわることから、1日のワークが始まります。先生の合図で、すぐそばにいる人とペアを組んで、床に座ります。こういうワークをしますから、初対面の人ともすぐに親しくなれました。初日の晩から意気投合して、六本木や四谷の居酒屋へ繰り出して盛り上がりました。翌日はみんな睡眠不足気味でも、ワークが楽しくて、眠気を催すことなど一切ありませんでした。このときの記録がマイノートに残っていますので、いずれご紹介します。最も強烈に印象に残っているものの1つに「内観」がありました。吉本伊信の内観法(内観療法)の簡易版です。部屋を暗くして、壁に向かいます。まず5分間、母(あるいは母代理)に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を思い出します。感情が溢れても、無理に止めないでそのまま味わうように、國分先生からご注意がありました。私はここは動揺することなく無事に通過しました。続いて5分間、父(あるいは父代理)に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を思い出します。これも感情が溢れても、無理に止めないでそのまま味わうようにとの注意がありました。ところが、ここで私は熱い思いがこみ上げて、慟哭しそうになりました。自分でも信じられません。それまで私は、幼少期に父親の温かい愛情を感じたことがないと信じ込んでいました。母親からはたっぷりの愛情を受けていました。それが、わずか5分間の「内観」で、「そんなことはない。あれもしてもらった、これもしてもらった」と、次から次へと思い出し、しかもほとんど何も「して返していない」ことに気がつきました。その父の最期にも会えなくて、これも重なって、もうはやどうにもできませんでした。涙でグジュグジュになっていると、久子先生がそっとティッシュを差し出してくださいました。久子先生のやさしさにまたまた感動!國分先生は、講座の開始時の自己紹介で、「自分はしゃべるのが得意だが、カウンセリングは久子のほうがうまい」と、奥様をしきりに立てていらっしゃいました。おしどり夫婦ぶりは、まるで上皇さまご夫妻のようです。國分先生は「初恋の人と学生結婚したおかげで、恋愛相談は苦手」とおっしゃっていました。
カウンセリング手法は折衷主義で、自らの手法を「コーヒーカップ方式」と名づけられました。カウンセリング初期の「関係づくり」=R~次の「問題分析」=P~「処方=T」です。
スクールカウンセラーのあり方をめぐって、臨床心理士制度に批判的な論陣を張られたことも有名です。(つづく)