論語でジャーナル’25
#自己とのエンカウンター
1)彫刻(1分):今の自分を表現するポーズをとり、グループのメンバーにコメントを聞く。私は、確か、掌を上向きにして世界を受け入れるように両手を開いて差し出して、顔をやや上に上げて、大股で大地踏みしめて、空気をいっぱい吸っているポーズをとりました。コメントはいろいろいただきましたが、忘れました。今では、あれは大胆な姿勢でいながら、底知れぬ不安感をカムフラージュしていたようにも思えます。それでも、「現状」のほうでなく、「理想」のほうを表現してはいます。前回登場したO君は、ゴザを丸めて担ぐ乞食さんを自分に見立てた絵でした。こちらは「劣等な現状」を表していますが、こういうパターンのほうが、参加者にはアピールできるようで、親切なおねえさんやおばさまからしっかりかまってもらっていました。もちろん、毎晩、気の合った連中と飲み会に出ましたが、彼も誘われて、六本木とか四谷とかの居酒屋で遅くまで盛り上がりました。後日談ですが、この方々の中で結婚まで進んだカップルもいたそうです。野田先生の主催される「プラサード」という瞑想グループでは、参加の注意事項として、「いくら親しくなっても、性的関係には入らないように」という一条がありました。関東の参加者は、きちんと守ったそうですが、関西の参加者は「どこまでならいいんですか?」と質問する人がいたそうです。なお、Oくんは「内気なHi...ちゃん」というタイトルのホームページを開かれています。
2)絵(15分):今の自分を表す絵を描く。「自己概念」を2つ書く。絵とセットにして展覧会をする。メンバーからコメントをもらう。私は、当時は、歌舞伎にはまって間もないころだったため、舞台中央で見得を切っている自分を描きたかったのですが、人物を描くのはとてもヘタでしたので、舞台中央の「せり」が下がっていて、これから役者が上がってくる様子にしました。その役者が自分なのですが、メンバーにわかってもらうのに苦労しました。やはり、視覚型でなくて聴覚型だということがよくわかります。
#ビリーフの変容
これは「論理療法」のテクニックです。論理療法では、出来事そのものが直接、症状や問題や悩みを生むのではなくて、介在する「固定観念」(ビリーフ:信念)によってそうなると考えます。
「出来事」をAとし、「症状」「問題」「悩み」をCとします。そして「ビリーフ」をBとして、分析します。ビリーフの一般公式は、「私について」「あなたについて」「世間一般について」、「~である(be)」「~すべきである(shuold)」です。これはアドラー心理学では、「ライフスタイルを構成する自己概念と、世界像」です。
自分のは忘れましたが、グループメンバーの出した例をいくつかあげておきます。まずAとCを確認して、それから「不合理な信念(イラショナルビリーフ)」を探して、さらにそれを「合理的な信念(ラショナルビリーフ)」に変えます。
実例1
A:人前でスピーチを要請されたが、うまく話せなかった。
C:自己嫌悪感。
IB(イラショナルビリーフ):スピーチというものは、うまく話さないといけない。
RB(ラショナルビリーフ):うまく話せるにこしたことはない。うまいへたよりも、内容がしっかり伝わればよい。
実例2
A:意見を求められたが、その場で即答できなかった。
C:後悔。
IB:求められたら即応答すべきである。
RB:その場で応答できるにこしたことはない。一時保留してもかまわない。
実例3
A:ボーイフレンドに嫌われた。
C:みじめ。
IB:彼に嫌われた私は駄目人間である。人には好かれなければならない。
RB:彼には嫌われた。だからといって、永遠にすべての人に嫌われるわけではない。
「グループエンカウンター」の回顧が長く続いていますが、あと1回で終了します。(つづく)
#内観
これはすでに書きました。
#「墓碑銘」を書いて展示する
國分先生によれば、象徴的なプレイは子どもじみているが、イニシエーション(通過儀礼)の意味を持つ。ユング心理学では、「死」は再生を表し、おめでたいことだと考えるそうです。ゆえに、「死に方」を考えると言うことは、「生き方」を考えることです。そういえば、野田先生の講演に「生き方・死に方の心理学」というのがかつてありましたが、その講演でも、メインテーマは「生き方」のほうでした。
このときの私の墓碑銘は「父に会えました」でした。
#誕生の声
メンバー全員2列を作り、向かい合って両手をさしあげてアーチを作ります。端っこの人から、1人ずつアーチの下をくぐり抜けて、「誕生の声」を発します。
私は「愛する人を離さない」なんてキザなことを言いました。
#國分先生のラストレクチャーでは、「ここでできたことを一旦抑制して社会復帰するように」とおっしゃいました。「抑圧」は無意識的ですが、「抑制」は意識的です。
#自分への効果
確か4人グループで、1人1人への感想を言ってもらいました。私へのフィードバックは、次のとおりでした。
・お尻がセクシー。
・発言されているときは視線がきついと思ったが、近くで見ると、かわいい目。
・タイミングのいい発現をする。
・どこかさびしそう。
・演じているよう。それがほんとのあなたなの?
・あなたに一番親しみをおぼえた。
・とても素直な人。
・真面目でやさしい人。
・筋肉の構えをとったほうがいい。
・生徒に好かれるでしょう。
・2日目以降、どんどん「構え」がとれました。
#フィナーレ(國分先生作の「参加者誕生宣言」を全員で朗読する)
われわれは木石にあらず。木石にあらずとは、自己の存在に意識性と責任性および意味性を有するということなり。意識性とは心理学用語で言えば洞察のことなり。気づきなり。われわれは、この研修会において洞察するところ少なからずと信ず。責任性とは、おのれが播いた種は自ら刈るという気概のことなり。自己のなしたる行為の結果を他者に結末させるごとき幼児性は、われらの好むところにあらず。人生の意味は何人もこれを教えることあたわず。人が人に向かいて、汝の人生かくあるべしと教うる根拠ありや。人間相互に等しく同胞なり。自己の人生の意味は自己自らが作るべし。喩えて言えば、児童が欲するままに自由画を描くが如し。國分は諸氏が来たるべき人生において、意識性と責任性と意味性とを十分に実現されんことを欲するなり。(完)
「関西弁」とか「標準語」とかの話題から、國分康孝先生を思い出して、先生の講座の中の代表である「グループエンカウンター」を回想しました。