論語でジャーナル’25
18,葉公、孔子を子路に問う。子路対(こた)えず。子曰く、汝なんぞ曰(い)わざる、その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみと。
葉の君(葉県の長官)が、孔子のことを子路にたずねられたが、子路は、何もお答えしなかった。このことを聞いて先生は言われた。「お前はなぜ言ってくれなかったのだ。その人柄は、興奮すると食事を忘れて仕事に打ち込み、面白くなると心配事を忘れて夢中になり、老年の忍び寄ってくるのを気づかない人だと、ただそれだけを」。
※浩→葉公は姓は沈(しん)、名は諸梁(しょりょう)、字(あざな)は子高。楚の賢者で、葉県の長官です。孔子が葉公を訪問したとき、賢者と言われた葉公は、従者の子路に孔子の人となりについて質問しました。孔子にすっかり心酔してはいるが、話のあまり上手でない子路は、ひと言で孔子を言い表すことができないで、何も答えなかった。孔子はそんな子路の素朴な人柄を非難するのではなく、自分の生き方を話したのでしょう。当時孔子は64歳で、流浪の旅にありました。「憤りを発して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ」という言葉は、このころの孔子の人柄をうまく表していると言えます。
「老いのまさに至らんとするを知らざるのみ」は私も同じです。毎年9月には「敬老会」の案内が来ます。まだ一度も行っていません。会のあと、町内会から「記念品」が自宅に届きます。コロナ禍の間は会は開催されませんでしたが記念品は届きました。お赤飯だったり、紅白饅頭だったりで、記念品もついています。折りたたみ傘があったりで豪華です。学区の小学生の絵手紙にいつまでもお元気で」とかかわいい文字で書いてくれています。
面白いことにひたっていると確かに心配事を忘れます。落ち込むことはあってもお腹はきちんと減ります。もう30年も前ですが、1995年に母が亡くなってしばらくは全身の力が抜けたような感じでしたが、お腹だけは空いていました。仕事に打ち込むのは、興奮してというよりも、むしろうまくいかなくてムキになっているときです。やはり完全主義なんでしょう。野田先生はよくおっしゃっていました。「即断即決即破滅」と。「即破滅」にならないように注意します。野田先生は、著書『クラスはよみがえる』の中で、教師が陥りやすい迷信を5つ挙げられています。引用します。
1,完ぺき病:「小さな失敗、大きな破滅」
2,反省病:「きびしく反省、明るい明日」
3,計画病:「きちんと計画、かならず実行」
4,努力病:「全力集中、目標達成」
5,習慣化病:「正しい習慣、正しい暮らし」
(「クラスはよみがえる─学校教育に生かすアドラー心理学」、野田俊作&萩昌子、創元社、1990,p80)