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スレッドNo.57

論語でジャーナル’25

19,子曰く、我生まれながらにしてこれを知る者にあらず、古(いにしえ)を好み、敏にしてこれを求むる者なり。

 先生が言われた。「自分は生まれながらにして知識を持った人間ではない。古代を愛し、努力して探求してきた人間なのだ」。

※浩→孔子は自分を生まれつきの天才としてではなく、古代に対する憧憬を持ちつつ研究を続ける努力者として自覚しています。老年の孔子の言葉です。
 「知る」の内容は示されていないが、「人間の生活の法則」のことであろうと、吉川幸次郎先生は解説されています(←中国古典選3「論語 上」、朝日新聞社)。孔子がお手本にしたのは古代の周公旦の定めた「礼」の制度でした。孔子の時代にしてすでに「礼」が乱れて形式的になっていたのを、孔子は「仁」というココロから出るものであるように改革したのだと思います。しかしながら、それは一朝一夕にして完成することなどありえなくて、生涯を通じて修得していくものでした。それは、「吾れ十有五にして学に志す…」(為政篇)に表されています。そして「故きを温めて新しきを知る」(為政篇)ことでした。
 私がアドラー心理学に出会ったのは、51歳のときでした。「自叙伝」から引用します。1991年1月のある日のこと……
 3学期のある日、化学工学科3年で私が「現代社会」の授業を終えると、1人の女子生徒(Tさん)が教卓へやって来ました。「先生も心理学をやるんですね。うちのお母さんはアドラー心理学というのをやっています。良かったら、本とか講演のテープとかあるので、貸してあげましょうか」と言うので、「是非お願いします」と答えたら、翌日、小冊子『僕たちのアドラー心理学入門』(現在絶版)と、野田先生の講演テープを数本貸してくれました。それから日曜日になると、『僕たちのアドラー心理学入門』という野田先生の講演記録集を読みあさり、「アドラー心理学初級講座」のテープを聞きまくりました。基本前提の、目的論~全体論~対人関係論~認知論と聞いていくうちに、すっかり魅了されました。一旦読み始めると立つこともなく、身動きひとつしないで、テープを聴き、本を読みました。母の耳にも入り、「いいお話じゃなあ」と感動していました。さらに、岡山市内で毎月、野田先生の公開カウンセリングがあることも教えてもらったので、早速見学に行きました。毎月第二土曜日の午後1時から5時まで4ケースあります。カウンセリング料金は5000円で、見学は1ケースに付き1000円です。毎回4000円払って、かぶり付きで見学しました。やがて、職場での私の様子の変化に気づかれた同僚の児玉先生が一緒に参加するようになりました。この会は、“岡山エンカレッジの会”という自助グループで、Hさんというおばさまがリーダーでした。彼女に誘われて、私もグループに入りました。4月から県教育センターへ相談員として週1回行くことになっていた私は、そこで野田先生の“ナマ・カウンセリング”を見学できたおかげで、不思議なほど自信がつきました。たくさんのワザを盗みました。……
 こうしてアドレリアン人生がスタートしました。翌年の1992年には、「教師はカウンセラーになれない」とおっしゃる野田先生を推しきって強引にアドラー心理学のカウンセラーにしていただきました。そして退職前後は、講演依頼が殺到して、最も忙しいときは、午前中に授業をまとめて済ませて、午後は県中央部・金川の小学校で講演して、さらに夜は広島県福山市へ飛んで、中学校の保護者対象の講演で、深夜に帰宅するという、タレント並みの生活になりました。退職後は徐々に依頼が減りましたが、それでもコロナ禍前は幼稚園などから依頼がありました。コロナ禍で皆無となりました。2010年からはずっと児玉先生の勤務校にスクールカウンセラーとして招かれて、今日に至ります。

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