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スレッドNo.61

論語でジャーナル’25

21,子曰く、我、三人行(あゆ)めば必ず我が師を得(う)。その善き者を択(えら)びて而(すなわ)ちこれに従い、その善からぬ者は而ちこれを改む。

 先生が言われた。。「自分は三人連れだって道を行くと、きっと自分の師を発見する。それは善いツレを選んでその行動を手本とし、悪いツレの行動を避けるからである。

※浩→3人のうち1人は自分です。他の2人の行動や言語の中から、自分の師とすべきものが必ず発見される。2人の言動の中からよいものを選んで、自分もそれを見習う。よくないと思うものが自分にもあれば、人のふり見てわが身を直せばいい。「里仁篇」に「賢を見ては斉(ひとし)しからんことを思い、不賢をみては内に自ら省りみる」とあったのと同じです。「三人寄れば文殊(もんじゅ)の知恵」というのがありますが、これとは意味が違うようです。「文殊」は知恵をつかさどる菩薩のことで、凡人でも3人で集まって相談すれば、文殊に劣らぬほど良い知恵が出るものだということだそうです。凡人が集まるという意味ですから、目上の人に使うとき失礼になるから注意が必要です。出所は「仏教」です。諺には反対があって、この反対は「船頭多くして船山に登る」でしょうか。「ドングリの背比べ」だと、良いモデルに出会えないようにも思えますが、人はそれぞれ個性があって、自分とは違うジャンルで名人・達人は必ずいると思います。モデルにしたくない人は「反面教師」で、「そうならなければいい」のですから、結局他者はいずれもよきにつけ悪しきにつけモデルであるということでしょう。私は、今は3人連れだって歩くことは滅多にありませんが、倉敷講座のあったころは、倉工で講座を終えて、倉敷駅構内の居酒屋へ参加者有志が移動するとき、児玉先生&自分&どなたかの3人並んで歩くことがありました。でも、そのメンバーはどなたもご一緒にアドラー心理学を学ぶお仲間で、悪いツレがどるわけないです。いや、いたか。去って行かれました(笑)。
 私にとって、出会う人の多くはお師匠様です。良きにつけ悪しきにつけ。「人生至るところ青山」ならぬ「人生至るところ師匠あり」です。思い出すのは、2番目の赴任校、高梁工業高校時代です。年齢の近い同僚たちと仲良しで、私と一緒に赴任したデザイン科の徳山先生と英語の岡田先生、それに次の年に赴任された国語の平田先生など。このメンバーでしょっちゅう高梁市内の居酒屋「一平」で盛り上がって、二次会はこじゃれたスナック「ニューベニー」へ遠征し、全員ホロ酔いで徳山先生の下宿に転がり込んで、雑魚寝して、翌日はそこから出勤していました。このころは全員独身でしたから、お気楽なものです。おのおのが個性的で、徳山先生はデザイン科のアーティスト、特に陶芸がご堪能でした。私がデザイン科を担任したとき、夏休みにホームルーム合宿を三番の岡山大学ボート部艇庫をお借りして実施したときは、同行してくださって大助かりでした。そのご縁から、ボート部機関誌『旭川』(現在は『旭川艇友』)のタイトル文字をデザインされました。勘亭流で書かれた「旭川」がその後何年か用いられていました。岡田先生は英語の先生で、プロテスタント系の熱心かつ敬虔なクリスチャンでした。彼は、英語の好きな若手の教師を集めて、放課後に英語の読書会を開かれて、私も参加しました。今もはっきり覚えているのは、オー・ヘンリーを講読したことです。最も印象的だったのは、「クリスマスの贈り物」です。平田先生は哲学者のような鋭い知性の持ち主で、「一平」で飲んで、総社の自宅(私は借家、平田先生はご自宅)まで同じ伯備線の列車で帰りました。当時はSLでした。そのころ、私はヘルマン・ヘッセに凝っていて、『知と愛』を読んで、彼をナルチスに、自分をドルトムントに喩えていました。眼光鋭く、私が論理的にいい加減なことを言ったりすると、ギロリと睨まれたりしました。
 今日の論語は3人のお話ですが、私たちは4人仲良しでした。コロナ前の2018年の年末に何十年ぶりかに岡山駅構内の居酒屋「旬すけ」で再開し、4時間、飲んで食べてしゃべりまくりました。全員おじいさんになっていました。街ですれ違っても誰だか判別できないと思います。あれからまた7年たちましたから、もっと加齢が進んでいることでしょう。また会いたいです。

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