論語でジャーナル’25
22,子曰く、天、徳を予(われ)に生(な)せり。桓魋(かんたい)其れ予を如何(いかん)。
私は、天から使命を果たすべき恩恵を授かっている。桓魋ごときが、私をどうしようとするのか、どうしようもない。
※浩→ここは、『世界の名著』の貝塚茂樹先生はごくあっさりとすませていますが、吉川幸次郎先生の『中国古典選』では、詳しい説明がありますので、そちらから引用します。
孔子が宋の国、すなわち今の河南省商邱(しょうきゅう)県で迫害を受けたときにこの言葉が発せられました。
60歳の孔子が、この国を通り過ぎ、弟子たちと大きな木の下で、礼の儀式の練習をしていたら、宋の重臣で、司馬の位の桓魋が、詳しい理由は不明だが、孔子を殺そうとして、その木を根こそぎに抜いた。弟子たちが「早くお逃げなさい」と言ったのに対して、この言葉を発した、と司馬遷の『史記』にあるそうです。余談ですが、桓魋は宋の景公の寵臣でしたが、のちに寵愛に溺れて謀反を起こしたそうです。
「天命」というのは、中国ではとても重要なことでした。「天」を尊ぶことは、天帝とか天皇とかいう言葉からもわかります。西洋では「職業」をcallingと呼ぶことがありますが、これは神からの「お召し」ということです。神に召されるというと、あの世へ行くようですが、ここは「生きてこの世で仕事をする」ということです。「天職」というとわかりやすいです。孔子は、「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」と「為政篇」にあったように、五十歳で天命を知ったのです。偶然の一致ですが、私がアドラー心理学に出会ったのが50歳でした。不思議な因縁を感じています。今でもカウンセラーを続けていて、少しでも人様のお役に立てることを「天命」としています。あまりご注文はありませんが(笑)。油断すると慢心しますから要注意です。私たちのあとにアドラー心理学に入った人がカウンセラーに合格されて一派を形成して活躍されるようになると、先輩を軽視して優位に立とうとしているように感じられます。まあひがみでしょうが。天命と自覚していれば、そういう世間の雑音に惑わされなくなります。