論語でジャーナル’25
23,子曰く、二三子(にさんし)、我をもって隠せりとなすか。吾れは隠すなきのみ。吾れ行いて二三子とともにせざるなき者は、これ丘(きゅう)なり。
先生が言われた。「諸君は、私が教育効果を目指して、何かを諸君の前に隠していて、私の全貌を諸君の前に示していない、と考えてはいないか。しかし、そう思うならば、誤解である。私は何も隠し立てはしていない。隠し立てをしないばかりではない。いつ何を行動するにあたっても、諸君と一緒に行動する。どの一つの行動だって、諸君とともにしないものはない。そういうのが、この私なのだ。
※浩→「丘」は孔子の名。孔子の人格は高尚で、学問は博学ですから、弟子たちの問いに答えて教えていることが孔子の思想の全貌を尽くしているとは思えない。何か秘密にしていることがあるに違いない。と、そう弟子たちは邪推していました。子貢でさえ、「夫子が性と天道を謂うのを聞いたことがない」と嘆いたくらいです。
今回の訳は、『中国古典選』の吉川幸次郎先生によるものから引用しました。原文の長さに比べて、とても丁寧な長い訳です。
孔子の弟子は孔門十哲と言われますが、孔子が長い逃亡生活の間、寝食を共にし激しく愛したのは、子路と顔回だそうです。でも、「言語には子貢」と言われて、弁舌の才は孔子に高く評価されていました。子貢は商人上がりの貨殖の才能や弁舌を生かして、政治家としても活躍しました。孔子を敬い自分を高く褒められても孔子には及ばないと謙遜し、国際政治で華々しく活躍しました。常に愛弟子・顔回と比べられて、よく師に質問をしては孔子に意地悪な答え方をされています。孔子は子貢を、その才能を認めながらも、咎めることが多く、あまり愛していなかった、いや嫌っていたのではないかと思えます。確かに子貢は知的ではありますが、思考は浅く、顔回には遠く及ばないことを、意地悪く本人にも告げています。それでも子貢は、儒教を学ぶ目的が立身出世にあったとしても、孔子を深く愛していたのでしょう。孔子の没後、他の弟子の倍の日数の服喪をしたことからもそう考えられます。
私は、アドラー心理学を当然、野田俊作先生から学びました。それこそ、一から十まで、懇切丁寧に、特にカウンセリングの知識と技術を教わりました。野田先生ご自身の事例からも、私のケースへのアドバイスからも学びました。子貢のように、「全貌を教えないで、何か隠しているのではないか」と罰当たりなことを考えたことはありません。教えていただいているときは、「こんなに大事にされている」と感じ、のちになって、「あれは私がアホだったから、あんなに丁寧に教えないと間違うかも」と思われたのかもしれないと考えたくらいです。今はときどき「当たっている」と思います。その私にも後輩ができて、筆頭は児玉先生です。その児玉先生とは30年以上一緒に仕事をしていて、私の持っている知識も○○も出し惜しみしないで提供しています。「生前贈与」です。そうすると、今度は児玉先生が後輩たちに惜しげもなくアドラー心理学の数々の技法を伝えています。私は恩師・野田先生の路線を逸脱しないように、「純正アドラー心理学」を正確に学び続け、それを児玉先生とともに実践しているつもりです。アドレリアンの中でももっと賢い方は、あれこれ手を加えて、「新理論」「新技法」のようなものを発表される方もいらっしゃいます。脱線しなければいいと念じています。
アドラー心理学は本だけでは学べません。野田先生のお教えは「生きた知恵」であり、人から人へと伝承されます。アドラー心理学を実現して生きている人に会って学ぶ以外に、アドラー心理学を学ぶいかなる方法はありません。