論語でジャーナル’25
27,子曰く、蓋(けだ)し知らずしてこれを作る者あらん。我はこれなきなり。多く聞き、その善き者を択(えら)びてこれに従い、多く見、これを識(しる)すは、知れるの次なり。
先生が言われた。「世の中には知っていないのに創作するものがあるようだ。自分はそういうことをしない。自分はできるだけ多くの人から聞いて、その中から善いものを選び出してそれに従う。また、できるだけ多くの本を読み、その中から善いところを抜いて、これを記憶する。これは知っているとは言えないが、それに次ぐ段階だ」。
※浩→「知」は知性のはたらき、「作」は創作。世の中には、知性を十分働かせないで、つまり、事柄の周囲の条件を十分に知悉(ちしつ=精通)しないで、ただ自分の直観だけに頼って、ものを創作するという態度のものがあるだろう。孔子はそういうことはしないと言っています。孔子様と超凡人の私を比較することすら不遜きわまりないことですが、私も当然、生半可な知識でもって自分で創作しようなどと考えることはまったくありません。特にアドラー心理学に関しては、すべて野田俊作先生からの受け売りです。「学はまねぶ」のとおり、ほんとに一字一句、野田先生のおっしゃったことを復唱して覚えて、実践もし、語りもしています。アドラー歴34年になりますが、いまだ「まねぶ」レベルであるには違いありません。それでも、最近は少しだけ講演・講義のスタイルが自分流になってきているようにも感じです。語る内容は野田先生からおそわったままですが、語り口などが自分流になってきています。最初のころの“とってつけたような”印象が消えて、私のハートから一句一句がにじみ出てくるようになったのでしょうか。この週末20日(土)は開講32周年の「岡工講座」です。