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スレッドNo.75

論語でジャーナル’25

28,互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難し。童子見(まみ)ゆ。門人惑(まど)えり。子曰く、その進むに与(くみ)するなり。その退くに与せざるなり。唯(ひと)えに何ぞ甚(はなは)だしき。人、己れを潔(いさぎよ)くしてもって進む、その潔きに与するなり、その往を保せざるなり。

 (あまり人情風俗の良くない評判の土地)互郷を通り過ぎたとき、一人の子どもが孔子に面会を求めたのを、孔子は拒絶しない会ってあげた。「これはまたどういうことですか」と弟子たちがいぶかった。孔子は答えた。「彼が私に会いに来たのは、進歩を求めてのことには違いない。だから自分は、その進歩の方向に協力しようとして、会ってやったのである。私に会うという以外の彼の行動は、人間として退歩の方向にあるかもしれない。私はそれにまで協力するのではない。しかるに、それに対して疑惑を持つのは、ひどすぎはしないか。人が、自分を清潔にしてやって来たときには、その瞬間の清潔さに協力しよう。彼の未来の行為まで保障する責任を持たなくてもいいではないか」。

※浩→「(進歩しようとして偉大な師のもとへ)自分を清潔にしてやって来たときには、その瞬間の清潔さに協力しよう。彼の未来の行為まで保障する責任を持たなくてもいい」の「彼の未来の行為まで保障する責任を持たなくてもいい」は、“援助職”にたずさわるものとして、考えさせられます。「せっかくおいでになったのだから、あれもこれも解決しましょう」と欲張ってはいけないのでしょう。野田先生はカウンセリングは弁護士さんの仕事と同じだとおっしゃいました。依頼された件についてだけ援助すればいい。カウンセリングをしていて、本来の課題からそれて話が広がると、ついでにそこまで解決しようと張り切るのは余計なお節介です。「そんなの頼んでいません」と反撃されます。孔子は、たずねてきた童子の積極的な方向におつきあいしたのであって、会っていないときの、あるいは今後の彼の行動に関してまでは、関わらないと言っているのでしょう。

 児玉先生と私は、1993年9月に初めて「アドラー心理学の講座」を開催しました。この9月で32周年を迎えました。これまでたくさんの方々が参加され、そしてたくさんの方々が去っていかれました。会場も、勤務校だった岡山工業高校から、退職後は県の生涯学習センターへさらに京山公民館へ、倉敷工業高校から津山工業高校へ、そして去年からまた岡山工業高校へ戻っています。倉敷からは児玉先生の勤務校です。参加された人の中には、その後の行動がとてもアドラー心理学の実践とは思えないような方もいらっしゃって、提供者として責任を感じたこともありますが、野田先生も「あなたから学んだそのあとは、その人の責任です」とおっしゃって、私が自分を責めることはないと諭してくださいました。今日の孔子の考えとも通じます。32周年記念岡工講座は明後日の開催です。こじんまりした会になろうかと思います。先日、歌手の橋幸夫さんが82歳で他界されました。私の大学卒業とほぼ同時に活動を始められて、昭和の歌謡界を牽引さた偉大な歌手です。先日NHKで彼を悼んで、2年前の「橋幸夫引退記念コンサート」をさい放送していました。そのときは橋さんは80歳ですが、90分の番組の中で何度も衣装を替えて、彼の全生涯にわたる曲を参加メンバーに応援もしてもらいがら、歌いきりました。あれから2年で逝ってしまわれるとは予想もできませんでした。私は彼よりも2歳年上です。それでなお講演活動ができることを天地人に感謝します。

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