論語でジャーナル’25
33,子曰く、聖と仁とのごときは、則(すなわ)ち吾(われ)あえてせんや。抑(そもそ)もこれをなして厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まずとは、則ち謂(い)うべきのみ。公西華曰く、まさにこれ弟子(ていし)の学ぶ能(あた)わざるなり。
先生が言われた。「聖人の地位、仁徳者の地位、そうしたものに、大胆に参与しようなどと、私は思いもよらない。ただしかし、辛抱強く嫌気を起こさずにやるということ、また辛抱強く相手が納得するまで人を教えるということ、それらの点では、私は、問題にしてもらってもよいであろう」。弟子の公西華が言った。「それこそ私たち弟子が真似のできない点でございます」。
※浩→自信を裏に込めつつも、あくまでも謙虚な孔子の言葉に、弟子が「真似ができない」と答えています。私は1991年にアドラー心理学に出会って、まず自分が救われました。次にカウンセラーの資格をいただいて、理論と技法を学ぶにつれて、大胆にも自分で講義をするようになりました。アドラー心理学の世界に入った人々が向かう方向はさまざまです。学会の理事のような役員あるいは幹部?の方向に進む人。研究にいそしんで総会で発表したり機関誌に投稿する人。ひたすら地道にカウンセリングの実践を重ねる人。親子セミナー(PASSGE)のリーダーとして活躍する人。講演活動をする人。……自分はどうか?かつて一度だけ「中国地区」の評議員に立候補して選ばれたことがあります。当時は、全国をブロックに分けて、ブロックごとに評議員を選出して、評議員の中から理事を決めていました。現在は「評議員制度」はなくなって、公選による理事だけいます。機関誌『アドレリアン』には自分のケースレポートを何度か掲載しました。ずっと続いているのは、講演・講義とカウンセリング活動です。講演は当初、野田先生のネタを覚えて、先生そっくりにやっていましたが、近年は自分の言葉で語れるように変化してきました。それでも、内容は全部、野田先生のパクリです(笑)。「辛抱強く嫌気を起こさずにやるということ、また辛抱強く相手が納得するまで人を教えるということ」、これは常々心がけています。
学生時代に小中学生の家庭教師をアルバイトでやったことも活かされます。学生時代は(今も?)気が短くて、小学生に何度同じ説明をしても理解しないときは、しょっちゅう怒鳴っていました。怒鳴ると、子どもはキョトンとしていました。もちろん効果は全然なしです。そのうちやり方を改めて、わかっているところまでバックしてそこから丁寧に教えるように成長していきました。この手法はその後も続いています。岡山工業高校に赴任してすぐに、クラスの生徒が特に英語と数学に苦労しているのを知って、定期考査前に「勉強会」を開くと、かなりの生徒が参加してくれました。ワルガキ(失礼)たちがたくさん参加してくれて、その子たちとの絆ができました。私は高校時代は数学は大の苦手でしたが、教えるために、詳しい参考書を購入して猛勉強して教えると、不思議なことに生徒は、私の説明はわかりやすいと言ってくれました。因数分解、方程式、三角関数、対数……と楽しくともに学習できました。ずっとのちになって、数学Ⅰが不認定だった土木科の生徒を放課後に毎日補習してあげたら、見事高得点で追試験に合格しました。専門の数学の先生の指導で落第した生徒を、素人の私が合格させることができて、とても誇らしかったです。講演でもお客様が納得されるまで「辛抱強く嫌気を起こさずに」続けていきます。