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スレッドNo.96

論語でジャーナル’25

第八 泰伯篇

1,子曰く、泰伯はそれ至徳と謂(い)うべきなり。三たび天下をもって譲れるも、民(たみ)得て称するなし。

 先生が言われた。「泰伯こそは最高の徳の持ち主と申しあげてよいであろう。天下を三度も兄弟に譲られたが、国民はどういうことかわからなかったので、ほめたたえようもなかった」。

※浩→「世界の名著」にも「中国古典選」にも詳しい説明があって、いずれも捨てがたいのです。ここでは吉川幸次郎先生の解説から引用しておきます。
 泰伯は、周王朝創業前期の賢人である。周王朝の先祖がまだ殷王朝治下の西方の一諸侯として陝西省西部にいたころ、まず頭角をあらわした君主は大王であり、三人の子どもがあった。その長男がここで話題になっている泰伯、次男が仲雍(ちゅうよう)、末子が季歴であり、季歴の子が、のちに周王朝の創業を決定した英雄、文王である。大王は、孫の文王の才能を早くから見抜き、これに王位を伝えようとした。そのためにまず、季歴を跡取りにしなければならないが、父の意向を察した泰伯と、仲雍は、南方の未開地域である呉の国、今の蘇州付近に亡命し、かつ断髪文身、つまり散切り髪の入れ墨という南方の風俗に身をやつして、父の後継者たることを拒否し、王位がうまく季歴を経由して、文王に伝わるようにした、というのである。
 そうした泰伯の行為を、至徳、至上の道徳、と批評しうべきものと、たたえたのです。「譲り合う」ということが最近は珍しくなってきて、世の中は「奪い合う」一辺倒みたいです。歩いていてすれ違うとき、こちらが待ってあげていると、会釈もなしに去っていく人がほとんのですが、稀に丁寧に謝意を示される人もいらっしゃって、そういうときはこちらまで心が豊かになります。男女差別ではありませんが、どちらかというと男性のほうが会釈をなさる方が多いようです。
 私が在職中、相談室長のポストをめぐって、同僚と譲り合ったことがあります。同僚のY先生は、担当教科は私と同じ「社会科」でしたが、彼はカウンセリングにはまったく関わらないで、代わりに、心理テストの実施とその事後処理、その他、事務関係を一手に引き受けられて、私のほうはカウンセラーとしての“職人仕事”に専念できました。年度末には翌年度の分掌希望を出します。当時の室長が翌年度は専門科長になられるため、相談室長の座が空くことになりました。分掌希望の用紙には、Y先生も私もそれぞれ、相手を室長に推薦していたことが校長から知らされました。校長から呼び出されて、「是非とも大森先生に室長をお願いしたい」と言われました。強引に辞退するのも傲慢と考え、お受けしました。Y先生はその1年は相談室にいらっしゃって、翌年は図書課へ移動されましたが、その後も退職までは仲良くおつきあいしました。

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