第九話 冬の花
現在は、たくさんのインターネット句会がありますが、全般的に初心者の参加が多いため、投句はともかく、選句のひどい句会が多いのが正直なところです。
季重ねや字足らずの句に得点が入るどころか、文法が間違っている句や、類想句などにも得点が入ってしまいます。これでは、何の勉強にもなりません。
あたしは、色んなインターネット句会を見学して来て、とてもレベルが高く、指導者の先生も素晴らしい句会を見つけましたので、お仲間に入れさせていただきました。
先日、あたしが参加して初めての句会があり、先生の句評をいただきましたので、掲載したいと思います。
1人3句の句会だったのですが、初めての参加と言うこともあり、あたしは、タイプの違った句を投句してみました。上から順に、あたしの理想とするミニマムな客観写生句、テクニックを使った伝統的な写生句、あたしのもうひとつの持ち味の暗喩をそぎ落とした内面写生句です。
『枯菊を焚くや茎より水蒸気 』
句評「この水蒸気は菊の命の残り火だったのでしょう。これによって、絢爛だったときの菊が余情として感じ取れます。「枯菊焚く」という季語の句は今までたくさんありますが、この句は情緒的、気分的な捉え方でなく、現実に立脚した非常にしっかりした俳句です。「茎」と言い止めた処など私たちが学ぶところは多々ありそうですね。」
『人ごみの中に人垣べたら市 』
句評「関西在住の私には馴染みの薄い季語ですが、べったら市は東京にある市で、べったらは大根の浅漬(べたらとも言うんでしょう)。上五中七の大づかみの把握は良いですね。群衆の動きが目に見えるようです。表現力の非常に優れた句です。」
『冬の花水の色してゐたりけり 』
句評「石蕗とか八つ手とか冬薔薇とか、個々の冬季の花を季語とした俳句は作りますが、「冬の花」という漠然的な捉え方の句を見たのは初めてです。この句は描写というよりも、作者の研ぎ澄まされた感覚がそう言わしめたのではないかと思います。では、具体的にどの花だ、と言いたいところですが、その前に一歩引いてこの句を鑑賞してみると、「なるほど」と納得させられる面はあるのではないでしょうか。それは、この句の奥に、冷たさ、寂しさ、鋭敏さなどが見られるためかも知れません。自分にはまず作れない句だけに、勉強させていただいた思いです。」
1句目、2句目ならば、どんな句会に出しても、それなりの評価を受けられる句ですが、3句目のものは、指導者のタイプによっては、バッサリと切り捨てられてもおかしくない作品です。このような句をどう評価してくださるかによって、その指導者の俳句に対する姿勢をうかがい知ることができます。
大方の指導者と呼ばれる人達は、自分の作風から離れた作品に対して拒絶反応を起してしまいますが、あたしの参加させていただいた句会の指導者は、一歩離れたところから作品を鑑賞し、あたしの斡旋した季語の本意を汲み取ってくれました。
このような指導者のいるインターネット句会こそ、俳句を勉強できる数少ない座だと思います。