第十二話 十七文字の翼
俳句は、通常の句会の他にも、色々な遊び方があります。「遊び方」と言っても、すべて俳句の上達に役立つものなので、楽しい上に、とても意義があります。
どんな趣味でも、ある程度深入りし、その先のレベルを目指す場合には、苦しい練習や辛い修行のようなことが必要になって来ます。
しかし俳句は、苦しんだり辛い思いをして勉強するものではありません。楽しくてワクワクするような遊びを続けているうちに、知らず知らずに力がつき、上達しているものなのです。
もしあなたが、現在どこかの俳句結社や俳句サークルなどに所属していて、毎月の投句に苦しんだり、主宰がお気に入りの弟子だけ特別扱いしていたり、先輩俳人の指導に辛い思いをしたり、結社内の人間関係に嫌気がさしていたりするのなら、そんな座は今すぐに辞めるべきです。
俳句は座の文芸であり、そのような不健康な座にいては、俳句が上達するどころか、せっかく好きになった俳句を嫌いになってしまいますから。
俳句結社の主宰や同人だからと言って、決して立派な人間ばかりが揃っている訳ではありません。たった一度の人生をせっかく俳句と言う素晴らしい文芸と関わることができたのですから、楽しい仲間達とワクワクするような座を持ち、そして上達して行くのが本当の道です。
さて、句会以外で、あたしが一番良くやるのが『袋まわし』と言う遊びです。だいたい5~6人から、多い時で10数人程度で遊ぶもので、句会と同じように、全員が輪になる形でテーブルを囲みます。そして全員に1枚づつ封筒を配ります。普通の茶封筒などでも構いませんが、あたし達はお金がもったいないので、じゃんけんで負けて螢に生まれたの‥‥じゃなくて(笑)、じゃんけんで負けた人が近くの銀行へ走ります。
そして、お金をおろしに来たフリをして、ATMのところに置いてある銀行の封筒をゴソッと盗って来ます。これを業界用語で『吟行へ行く』と、言うとか言わないとか‥‥(笑) *図書館註:吟行句会の取りまとめ役は一部で「頭取」と云う(実話)。
全員の目の前には1枚の封筒と、たくさんの短冊が配られ、あとは各自、歳時記や国語辞典、句帳などを用意します。そして、各自が自分の封筒の表に、何か言葉を書きます。『元旦』とか『初春』とかの季語でもいいし、『猫』とか『太平洋』とかの名詞でもいいし、動詞でも形容詞でも擬音でも外来語でも平仮名でもカタカナでも何でも構いません。ただ、季語の場合はその季節のもの、あとは、あまり文字数の多いものは適さないので、最高でも6~7字が限度でしょう。
各自、他の人に分からないように文字を書き、書き終わったら封筒を裏にしておきます。
手元に短冊とペンを用意し、時計係の合図を待ちます。
全員の準備ができたことを確認したら、時計係が自分の腕時計を見て、スタートの合図をします。もちろん、時計係もゲームに参加しますので、句を作りながら時間も見れるような、実力のある人が時計係になります。
この時、『よ~い、ドン!‥‥っていったら始めてね♪』なんてオヤジギャグをやると、四方八方から灰皿が飛んで来るので、気をつけて下さい(笑)
スタートの合図とともに、自分の封筒を表にして、さっき自分が書いた文字を詠み込んで、即興で一句を作ります。そして短冊に書き、封筒に入れます。短冊は長めのものを用意して、封筒から頭が出るようにしたほうが、あとから集計しやすいです。
時計係のストップの合図で、自分の俳句を入れた封筒を右隣りの人へ回します。自分のところには、左の人の封筒が回って来ます。
そして、すぐにその封筒に書かれた文字を読み、その言葉の入った句を作ります。
これを一周、つまり、自分の封筒が戻って来るまで、休みなく連続で行います。そうすれば、全員の手元に、人数分の短冊が入った封筒が戻って来るのです。
例えば10人で袋まわしをしたら、封筒に『猫』と書いたあたしのところには、自分の作った俳句を含め、すべて『猫』の文字を詠み込んだ俳句が10句集まるわけです。
そこからは通常の句会と同じように、それぞれが清記用紙へ、短冊に書かれた句を書き、選句をして行きます。
あたしのグループは、初めて袋まわしに参加する人がいる場合は、一句作る時間を3分にしますが、いつものメンバーでやる時は45秒でやっています。また、人数が7~8人以上の場合は、清記や選句の手間を考えて、1つの題に対してひとり1句にします。
逆に小人数の場合は『青天井(あおてんじょう)』と言って、句の数を無制限にします。
ですから、あたしが一番燃えるのは、実力のあるメンバー5~6人で囲む、45秒の青天井なのです。何だか、まるで麻雀みたいでしょ?(笑)
もちろん袋まわしにも、麻雀みたいに色んなワザがあります。例えば、最初の句は自分の選んだ言葉を詠み込むわけだから、事前に一句作っておき、その句の中の言葉を封筒に書けば、即興で作らなくても済みます。そんなセコイことをしなくても、最初だけは言葉を考えてからスタートするまでの時間が45秒にプラスされるので、他の題の時よりもいい句が作れるはずです。つまり、自分の選んだ題なのに、他の人の句にたくさん得点が入ったりすると、すごくカッコ悪いのです(笑)
だから、みんな結構セコイ小ワザを使います。
例えば『初春や顔洗ふ猫ふり返る』と言う句をコッソリと用意していた場合、封筒にどの文字を書くか、と言うことです。
『初春』『顔』『洗ふ』『猫』などを選ぶと、他の人達も句に詠み込みやすいので、一番使いづらい『返る』を封筒に書いたりします。平仮名で『かえる』と書けば、返る、帰る、代える、替える、変える、などに使うこともできますし、ケロケロ鳴く『かえる』として使うこともできます。
しかし『返る』と表記すれば、その言葉の使用パターンは極端に少なくなり、よって自分以外のメンバーは俳句を作りづらくなります。
まあ、最初の句はご愛嬌って言うか、アイドリングみたいなものなので、多少のズルをしても構いません。だって遊びなんですから(笑)
でも、2句目からは、そんなノンキなことは言ってられません。
何しろ、初めて目に入って来た言葉を使って、たった45秒で俳句を作り、短冊に書いて、封筒に入れ、右隣りの人に回さなきゃならないんです。それでも何とか必死に作り、右隣りの人に回したからって、ホッとしてなんかいられません。右隣りの人に回すと同時に、左隣りの人から、次の封筒が回ってくるからです。
今まで「猫、猫、猫、猫‥‥」って考えていたアタマを一瞬のうちに切り替え、今度は「新春、新春、新春、新春‥‥」って考えるのです。お題が季語なら、その季語にマッチした描写を考えなきゃならないし、お題が季語以外なら、その言葉で詩を考えたうえに、その詩に合う季語も斡旋しなくちゃならない!
でも、こんな遊びでも10年以上もやってると、45秒で3句くらいは作れるようになるし、それなりに推敲する余裕も出て来ます。
もちろん、最初から45秒の青天井ルールだったわけじゃなくて、3分で1句、2分で1句と、仲間の技術の向上とともに、だんだんエスカレートして来ただけなんですけど(笑)
いつもは、一句に時間もかけ、場合によっては何日も考えて推敲に推敲を重ねるような場合もあるのに、袋まわしでは、1分や2分で作句しなくてはなりません。ですから、最初は、メチャクチャな575だったり、どうしても作れずに白紙の短冊を封筒に入れることもしばしばです。でも、定期的にこの遊びを続けていると、いつもの自分には作れないような、思わぬ作品を生み出すこともあるのです。
時間に追われて作句することの意義は、考えてるヒマが無くなる、と言うことなのです。俳句は、時として、あれこれ考え過ぎたために、かえって悪くなってしまうこともあります。
考える時間もないような状況で作句すると、主観の介入する余地がなくなって来て、おのずと客観的な句が生まれて来るのです。
句会の当日、5句作って行かなくてはならないのに、どうしても4句しかできず、取り合えず句会へと向かったとします。句会が始まり、投句の締め切りの数分前に、その場で作った句を加え、何とか規定の5句を投句しました。そして、句会が終わってみると、さんざん推敲を重ねて、苦労して作って行った4句が選ばれずに、その場で数分で作った句のほうにたくさんの得点が入り、主宰の選にまで選ばれた、なんて言うこともあるのです。
通常の句会などに参加したことのある人なら、こんな経験を持っている人も少なくないでしょう。
これは、偶然の出来事ではなく、もともと自分が持っている、潜在的な能力なのです。
ですから、袋まわしなどの遊びによって、その能力を引き上げ、あるレベルに達した時には、そのワザが自由に使えるようになるのです。
現代では、ロウソクと言えば、あたしが電気を止められちゃった時に使ったり、あとはSMの女王様くらいしか使わないけど、その昔は、ロウソクに5mm刻みの目盛りを書いて、句座の真ん中に立てて火をつけ、ロウソクが1目盛り減るごとに一句提出、なんて言う句会もあったのです。実際に、あたしもやってみたことがあります。
俳句の遊びは、袋まわしの他にも、短冊まわし、各駅停車、尻取り俳句、逆選句会などなど、他にも色々とあり、そのすべてがとても楽しく、そして、通常の句会では得られない部分の句作向上に役立つのです。
ナントカのひとつ覚えみたいに、毎度同じ顔ぶれの、毎度同じ句会で、毎度同じ先生の選だけ受けていても、あなたの俳句は結社色に染まって行くだけで、小手先のワザは身に付きますが、俳句にとって一番大切なオリジナリティが無くなって行くだけです。
俳句にとって一番大切なことは、『自分の感じたことを自分の言葉で自分らしく詠う』と言うことであり、結社やカルチャースクールなどで勉強するのは、自分の作句スタイルを確立するための、ベーシックな学習にしか過ぎません。
適当な結社で2~3年勉強すれば、俳句の基本は身に付きます。あとは自由に、自分の空を自分の17文字の翼で飛ぶだけです。