第十五話 ★雲の上の人達 図書館註:★は毒舌注意報発令で~す。
俳人の中には、色んな勘違いをしてる人がいる。例えば、作品を作ることよりも、つまらない「伝統」とかにこだわってる人。俳句の歴史は、たかだか300年、本当に歴史のある短歌(和歌)と比べたら、ついこの前できたみたいなもので、そんなものに伝統なんかあるワケがない。
もし仮に、俳句に伝統と言うものがあるとしたって、俳句に対する姿勢、取り組み方などの精神的なものであって、過去の句をサルマネして後世へ伝承して行くことじゃない。伝統工芸じゃあるまいし!(笑)
「伝統、伝統」って騒いでるのは、たいていホトトギス派の俳人達だけど、「じゃあ、伝統って何なの?」ってあたしは聞きたい。
時代は21世紀になり、クローン人間まで誕生してるって言うのに、何十年も前の「ホトトギス雑詠集」に載ってるのと何ら変わらない、古臭い句を詠み続けることが伝統なの?
50年前の俳人は、100年前の俳句のサルマネをしてたの?50年前は50年前の「今」、100年前は100年前の「今」を詠んでたんだと思うんだけど‥‥。過去の句を今なぞってるだけの人達に、あなたは「今」を生きてるんじゃないの?って聞いてみたい。
使い古された表現で、使い古された言葉をまとめ、当たり障りのない季語を取ってつけたように置いた、正座して読むような俳句。それだけならまだいいけど、現在の雑詠欄に掲載されている「滑稽味を狙った(であろう)俳句」なんか、セクハラ部長の寒~いオヤジギャグを聞かされてるみたいで、マジでトリハダが立って、そぞろ寒くなっちゃう!←(※あなたもこのギャグが分かれば俳人です、笑) *図書館註:「そぞろ寒」晩秋の季語でございます。
「伝統」って言う言葉にこだわっている人達の俳句って、類想類句のオンパレードだ。(ちなみに、この「オンパレード」って表現は、ホトトギス的な伝統にのっとり、使い古された言葉を斡旋してみました、笑)
でも、同じように過去の『ホトトギス雑詠集』の俳句にこだわった句作をしていても、古いものを追究することで、俳句の新しい可能性を模索し続ける温故知新の俳人、岸本尚毅(きしもとなおき)は、詠み尽くされてしまったはずの古いスタイルの、僅かな隙間や盲点をついた作品を詠むので、逆にハッとさせられて新鮮に感じる。もちろん、岸本はホトトギスの会員ではない。ホトトギスの中に入ってしまっては、決して気づくことのできないモノを外部から客観的に見るからこそ、新しい発見があるのだろう。
現在発売中の某俳句雑誌を立ち読みしてたら、ホトトギスの新鋭若手俳人の作品7句が載っていたんだけど、使い古された見立て、陳腐な表現ばかりで、あたしは、100年前にタイムスリップしたような気分になってしまった。
たぶん、このあたしの表現も、形だけの伝統に振り回され、俳句の本質を理解していない人達にとっては、きっと誉め言葉と感じるんだろうな‥‥(笑)
あたしは、この若手俳人の句を読み、その作者じゃなくて、その結社の主宰に対して呆れてしまった。雑誌に掲載するってことは、一応主宰が原稿に目を通すはず。それでOKが出て、初めて出版社に原稿が送られる。どの俳人だって、所属結社のカンバンをしょって雑誌に作品を発表するんだから、いくら若手とは言え、その作品で、結社の資質までもが問われてしまうからだ。
‥‥この句にOK出したんだ‥‥あたしは唖然とした。
会員数だけは日本一の結社『ホトトギス』の主宰、稲畑汀子(いなはたていこ)、日本伝統俳句協会の会長だ。あたしは、この人の作品も一応は目を通しているが、ほとんど心に残っていない。本人が言うところの代表句は『セーターの又赤を着てしまひたる』と言う句だそうだが、「あなた、どう思いますか?」って感じだ。
稲畑汀子の他に、現代俳句協会会長で、結社『海程』の主宰、金子兜太(かねことうた)、そして、俳人協会の理事長で、結社『狩』の主宰、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)、この3人が、俳壇の三大権力者だ。
兜太と狩行には、汀子と違い、多くの有名句がある。でも、兜太は「俳人は、キゴキゴキゴキゴって切れないノコギリみたいなことを言ってちゃいかん!俳句に季語なんか必要ない!」って言う考えの人で、伊藤園の『お~い!お茶』に書いてある「新俳句」の審査委員長とかもやっている。
だから、有季定型の客観写生を志すあたしから見れば、山頭火や放哉と同じく、もはや俳句と言うジャンルの人ではないので、あたしにはあんまり関係無い。また、同じ有季定型でも、モノを見ないで器用に俳句を作る狩行からも、あたしが学びたいことは何も無い。
平成10年の『俳句』2月号の「現代俳句時評」で、『船団』の代表、坪内稔典が、この3人について書いている。
「今日、私たちは業界(俳壇)のことに気をとられ、俳句そのものを根本的に考える志向を希薄にしている。』と前置きし、次のようなことを述べている。
兜太は、40代の頃は、俳壇の権威に立てつき、『彎曲し火傷し爆心地のマラソン』などの、俳句史に残る代表作の数々を生み出した。狩行は、28才から33才までは、『スケートの濡れ刃携へ人妻よ』などの、軽快で個性的な作品を多く発表している。
しかし二人とも、このあと(自分が権威側に立つようになってからは)、これ以上の作品を生み出してはいない。汀子にいたっては、『セーターの又赤を着てしまひたる』が、一応は俳壇で知られてはいるが、凡庸(ぼんよう)な句であり、はっきり言って代表作と言えるほどのものではない。もし、自分の作品の中に、俳句史上に突出するような作品があると言うのなら、その句を挙げて示して欲しい。兜太と狩行についても、もし過去の句以上の作品があると言うのなら、その句を示して欲しい。
この稔典の記事が発表されてから5年、あたしは、この3人が主要俳句誌に発表した作品を全て読んでいるが、今だに過去の作品以上のものを発見できずにいるばかりか、過去の自作の焼き直しみたいのばかりが目につくようになって来た。
まあ、どっかの中堅結社の主宰みたいに、自分の弟子の作品をパクるわけじゃないんだから、モラルには反していないけど、「そろそろネタが尽きて来たのかなぁ~?」なんて心配になっちゃう。
過去に捉われず、常に「今」を詠んでいれば、俳句は無限なのに‥‥。
あたしの作句スタイルのベースになっているのは、芭蕉の『不易流行(ふえきりゅうこう)』だから、雲の上の人達が何をやってても関係無いけどね(笑)
だけど、一句も代表作の無い日本最大の結社の主宰や、今だに過去の作品を超えられず、同じ場所で足踏みしてる権力者達が、俳人にとって一番大切なはずの俳句をあと回しにして「俳句以外のこと」に、今日もセッセと精を出しているのをもっと上の雲の隙間から草田男あたりが見たら、きっとバケツで水でもかけられちゃうだろうな!(爆)