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スレッドNo.23

第十六話 不易流行

前回の俳話の中で『不易流行(ふえきりゅうこう)』と言う言葉を使いましたが、今日は、この不易流行について書いてみたいと思います。

不易流行とは、あたしの作句スタイルのベースにしているもので、松尾芭蕉の俳諧論の主軸となっている考え方です。

最近は少しは見直されて来たけど、ちょっと前まで皆からボロクソに言われてた高浜虚子、逆に、理屈は一丁前だけど肝心の作品はダメじゃん、て最近言われ始めちゃった正岡子規、そして、その子規に徹底的に否定された松尾芭蕉、あたしは、この三人を勝手に自分の俳句の師匠だと思っています(笑)

不易流行と言う芭蕉の考え方がなければ、俳諧は正岡子規へと続いていなかったと思うし、子規が芭蕉を否定しなければ、俳諧から俳句は生まれなかったと思うし、子規が碧梧桐ばっかりヒイキしなければ、虚子はダメなままだったと思います。
だから、やっぱり芭蕉の不易流行と言う俳諧論があって、初めてあたしは俳句と出会えたんだと思っています。

そして、芭蕉を否定した子規をルーツとする、現在の『ホトトギス』を今度はあたしが徹底的に否定して、次の世代へと『本当の俳句』をバトンタッチして行けば、これぞ芭蕉おじさんやノボ兄ちゃん(子規)が理想とした姿だと思います。

あたしから言わせれば、所詮、子規だって芭蕉の手のひらの上で芭蕉を否定していただけだし、全ての俳人は、芭蕉の手のひらの上であ~でもない、こ~でもないって言ってるだけなんだから(笑)

芭蕉は、自らの筆としては、俳諧論らしきものは残していません。それどこれか『おくのほそ道』なども、実際のところは、旅に同行した門弟の曽良(そら)が書いもので、その内容についても、半分は作り話だと言う説もあります。
まあ、その辺の話は別の機会にするとして、芭蕉の教えのほとんどは、門弟達の残した文献、例えば、去来の『去来抄』や土芳の『三冊子(さんぞうし)』などに書かれています。でも、このあたりの文献は、大学の教授とかが専門的に研究したりしてる分野なので、正直な話、あたしみたいに、俳句の底無し沼に首までドップリ浸かってるような俳句フリークじゃない限り、ここまで遡って勉強する必要はありません。
普通に、趣味のひとつとして俳句を楽しみたいのであれば、子規の『俳諧大要(はいかいたいよう)』だけ読んでおけば楽勝でしょう(笑)

さて、長い前置きも終わり(笑)、芭蕉の門弟達の残した文献の中の不易流行についての部分を説明しましょう。

芭蕉の様々な俳諧論の中に、『千歳不易』と『一時流行』と言う、全く正反対の教えがあります。
前者は『千年経っても変化しないもの』、後者は『一時で変化してしまうもの』と言う意味です。

芭蕉は、この正反対の二つの考え方が、芭蕉の俳諧論の柱である『風雅の誠』に於ては、その根源は一つである、と解いています、って言うか、これは土芳の一元論で、去来は、不易と流行を別々に考える二元論を唱えています。もう、何が何だか分からないって?(笑)

この辺の考え方は、ほとんど仏教の世界です。芭蕉のルーツは西行法師だからしかたないけど(笑)

でも、俳句やるのに宗教まで勉強しなきゃならないの?って思う人達のために、あたしが、このセクシーなクチビルでやさしく噛み砕いて、簡単に説明しちゃいます(笑)

まず、不易、つまり変化しないものって言うのは、常に雅やかな世界を詠う短歌(和歌)の世界だと思って下さい。
そして、流行、つまり変化するものは、常に「今」を詠む俳句(俳諧)の世界だと思って下さい。

去来は、短歌的な要素を持つような俳句も、本来の形の俳句も、平行して作って行くべきだ、と説いています。土芳は、その去来の説をベースに、さらに煮詰めて、「風雅の誠においては、その根源はひとつなので、短歌的な要素を含み、俳句的な新しみをも兼ね備えた俳句を作るべきだ」ってなことを言ってるんです。

そして、土芳は、「千変万化する物は自然の理也。変化にうつらざれば、風あらたまず。」、つまり、自然界で全てのものが常に変化して行くように、俳諧も変化し続けて行かなきゃダメだって言ってるんです。

これと似た言葉、どこかで聞いたことあるなって思ってたら、ボブ・ディランの『Like a rolling stone』、直訳すれば、「転がり続ける石のように」です。
ローリングストーンズが、この曲からバンド名をつけたと言われる、名曲中の名曲です。

この、300年前の俳諧師から、還暦を迎えてもロックンロールし続けるイギリス人に至るまでが分かってる『不易流行』ってスタイル、どうしてカンジンの現代俳人で、分かってる人が少ないのかなあ?って、俳句専門誌に毎月発表される、大先生方の作品を読んで思う、今日この頃です。

あっ!今回は、毒舌バージョンじゃなかったのに!(爆)

※俳人の必読書、子規の『俳諧大要』を読んでみたい人は『きっこのお薦めサイト』の中に、購入窓口がありますよん(笑)

*図書館註:「きっこのブログ」中に「きっこのオススメサイト」とか右下にオススメ本が並んでいますが「日本の古本屋」に登録
      すれば日本津々浦々の古本屋から新品同様の廉価本が買えます。図書館が『ホトトギス雑詠全集』全44巻を蒐集したの
      も古本屋さんのお陰です。きっこさんから『ホトトギス雑詠選集』(昭和62年、朝日文庫、全4巻)だけ3年間読んでれ
      ばいいと言われ、昭和32年刊の角川文庫版『ホトトギス雜詠選集』が旧字旧仮名のだったのでこのほうが本物の息吹に
      触れられると、昂じて大正4年からの全初版本を十年余かかって総て入手しました。『俳諧大要』と山本健吉『季寄せ』
      と並んで「俳句の三種の神器」としていつも手元に置いていたので津波には攫われませんでした。毎日新聞社の虚子全
      集は海の藻屑と消えましたが実に杜撰な全集でクソ編集でしたから消えて清清しました。

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