MENU
5,526

スレッドNo.24

第十七話 高得点句から学ぶこと

どんな句会でも、得点が均一に分散すると言うことは稀で、たいていの場合は、何句かの高得点句が生まれます。

学校の授業などで実験的に句会をやったりする場合を除けば、句会と言う座に集まる人達は、年齢や職業など、様々な背景がバラバラです。さらにネット上の句会ともなれば、住んでいる場所も関係なくなるため、雪に埋もれた北国の人と、もう梅が満開の南の人が、同じ座につくこともあります。

条件の違う人達が集まるのに、それでも高得点句が生まれると言うことは、「本当に素晴らしい俳句は読み手を選ばない」と言うことなのでしょうか。

今回、初めて開催したハイヒール句会でも、最年少の仙台の女子高生ぱぴぃちゃんから、70才を越える岐阜の歌人、可津美さん、その他にも、三重のまさしさん、大阪のナナさん、広島の風子さん、愛媛の手毬さん、香川のかへでさん、などなど。
実際の句会では、まず集まることの難しい場所の人達と、同じ座を持つことができました。

これだけバラバラの場所で生活していて、年齢も職業もその他の背景も違う人達が集まったのに、今回の相互選では、2句の高得点句が生まれました。

  初春のエプロンさらりと結びをり 手毬

  身支度を覗きゆきたる初雀 雪音

手毬さんの句は、特選に選んだ人が3人、入選に選んだ人が5人で、今回の最高得点句です。

雪音さんの句は、特選3人、入選3人で、こちらもまた素晴らしい成績です。

たくさんの人の共感を得た高得点句からは、とても多くのことを学ぶことができます。

まず、手毬さんの句ですが、これは585の字余りになっています。
あたしは、基本的には字余りや字足らずの句は選びませんが、この句は特選に選びました。何故かと言うと、意図があって意識的に字余りにしており、それが成功している句だからです。

この俳話集の『字余りと字足らず』と言う項にも書きましたが、定型詩にとって最も大切なことは定型を守ることであり、意図的な字余り以外は、単なる推敲不足なのです。

手毬さんの句は、いくらでも定型に収めることが可能です。例えば1文字抜いて

  初春のエプロンさらり結びをり

でもいいですし、組み立て直し、

  エプロンをさらりと結ぶお正月

としても、ちゃんと17音に収まります。

しかし、これらの形では、高得点は得られなかったでしょう。
この句の良さは、上から下まで切れずに、するすると流れて行く爽やかさであり、前者のように中7に軽い切れが生じてしまうと、その流れが悪くなってしまいます。また、後者の場合などは、中7で完全に流れを止めてしまった上に、上5の「初春の」が表現していた、めでたさや爽やかさまでもが無くなってしまいます。

そのように比べてみると、この句の良さは、まず上5の「初春の」で、新年のめでたさ、爽やかさ、新たな気持ちなどを表現し、そこからするすると流れて行くリズムにある、と言うことが分かります。

さらに厳密に言えば、「エプロン」は4音ですが、声に出して読む場合、「ン」のつく言葉は単音で発音すると言うよりは、前にある音、この場合は「ロ」と対で「ロン」と発音するため、「ン」の無い4音の言葉よりも、若干短めに感じるのです。
それもまた、読み手に字余りを感じさせず、句の流れをスムースにしている要因のひとつでしょう。

句末の切れも「けり」で強く切ってしまうと、せっかくの流れを断ち切ってしてしまいますが、「をり」で柔らかく切り、余韻を残しています。お正月と言えども、「エプロンを結ぶ」と言う行為は極めて日常的なことであり、そのあたりの感覚が「をり」に表れています。

続いて、雪音さんの作品についてですが、こちらを選んだ人も、また選ばなかった人も、ほとんどの人達が「初詣かお年始まわりに行くための身支度」を思い浮かべたことでしょう。

これは「初雀」と言う季語の力によるもので、同じ冬場の雀の季語であっても「寒雀」に置き替えてみると、作者がどこに出かけるのか、まったく分からなくなってしまいます。
それでは、初雀と同じように新年を表す別の季語と、「身支度をする」と言う内容の描写との取り合わせだったらどうなっていたでしょうか?

例えば「お正月」「元旦」などの季語を取り合わせた場合、「初詣に出かける」と言う句意は原句と変わりませんが、ただの報告文のような、まったく魅力の無い句になってしまいます。

やはり、身支度をしている作者と、それを覗いた初雀、と言う二元的な捉え方により、成功している句だと言うことが分かります。

つまり、この句は、季語が動かない句、と言うことになります。季語が動かない、と言うのは、秀句の絶対条件のひとつであり、代わりにどんな季語を持って来てもいいような句は、.決して秀句にはなりえません。
また、下5に「初雀」を持って来たことにより、読み手は、中7までは作者がどこに出かけるのか、誰に覗かれたのかを知ることができません。
下5の「初雀」と言う言葉に辿り着き、初めて、その2つの疑問が同時に解消できるのです。

その瞬間に、新春の爽やかな空気、ウキウキと支度をする作者の様子などが見えて来て、雀たちのさえずりまでもが聞こえて来るのです。

  初雀身支度覗きゆきにけり

このように、もしも上5に季語を置いていたら、犯人の分かっている推理小説を読むようなもので、この句の魅力は無くなってしまい、高得点は得られなかったでしょう。

これらの句に得点を入れた人達は、ここまで考えて選んだわけではなく、一読してスルッと心の中に入って来たから選んだのだと思います。もちろん、あたしも同じです。
しかし、作者は、読み手に共鳴してもらうために、言葉を選び、何度も推敲して、そして、その努力を感じさせないように作品を仕上げているのです。
ですから、句会後には、どうしてこの句にたくさん得点が入ったのだろう、と、色々な角度から細かく分析して行き、その句が成功したポイントを探し出すことが、自分の句力アップに役立ちます。

正直に言って、この2句は両方とも、大したことは詠っていません。作者の心の葛藤や人間の生きざま、大自然の驚異や大宇宙の神秘などを高級な1眼レフカメラで写したわけではなく、何気無い日常のひとこまを使い捨ての『写るんです』でパチッと写しただけのスナップ写真なのです。

しかし、それが見事なシャターチャンスであったため、たくさんの人達に共感されたのです。そして、これこそが俳句なのです。

俳句は、決して大上段に構えて、人生のなんたるか、大宇宙のなんたるかを詠うものではありません。日常の何気ない題材でも、自分の見たものを自分の言葉で詠えば、それが俳句であり、多くの人の共感を得るのです。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top