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スレッドNo.25

第十八話 ★縄文式句会

俳句に興味のない人達に俳句についてのイメージを聞くと、たいていの人は「難しそう」と答えます。
まして「句会」などと言うと、門付きハカマの男性や着物姿の女性が正座でズラ~ッと並び、ひと言も口をきかずに、金粉のついた短冊に毛筆で読めないような字を書き、上座には白いヒゲをたくわえた仙人みたいな先生が腕組みして座ってる、なんて思われてるかも知れません(笑)

こんなアホなことはないけれど、間違った伝統意識に振り回され、俳句と言うもの、座と言うものの本質が分かっていない、縄文式土器みたいに遅れた結社の句会などでは、スピリチュアルな面では、これに似たようなことが実際に行われていたりします。

まず、句会中は「おしゃべり禁止」、それから「飲食禁止」、さらには「絶対服従」(爆)、つまり、主宰や先輩俳人のお言葉は神のお言葉であり、主宰が黒と言えば、白いものも黒なのです。
こんな、さまぁ~ずの三村なら「北朝鮮かよ!」ってツッコミそうな感じの句会が、本当にあるのです(笑)

あたしが以前、ある大きな結社の定例句会にゲストで呼ばれた時のことです。ある幹部同人の句に、たくさんの点が入りました。あたしから見たら、類句も多いし、月並みだし、頭で作っただけの大した句じゃなかったんだけど、その人は、マンガ『美味しんぼ』の海原雄山みたいな態度で「どうだ!私の実力は!」みたいな感じでした。その句を選んだ会員達も「偉い幹部の句を選んだ私達は選句の目がある!」って感じで、時代遅れの座にありがちな、つまらない句をマト外れな言葉で誉め合う茶番が炸裂していました。

そう言う結社の会員達の中には、自分がいいと感じた句を選ぶんじゃなくて、主宰や幹部の句を選ぶことに全神経を集中してるような人達も多いのです。
ですから、誰も選ばなかった主宰の句を自分だけが選んだりした日には、もう得意満面でその句を誉めちぎります。あたしなんかは、見てるこっちが恥ずかしくなって来るんだけど、周りの金魚のフン達は「主宰の句を取りこぼしてしまった‥‥」って、青い顔をして、その句を選んだ会員をうらめしそうに見ています。

こう言った、俳句の本質から外れた小さな努力の積み重ねが、いつかは『巻頭』そして『同人』と言う、井の中のカワズの出世コースにつながるのが、縄文式土器みたいな結社の姿なのです。

話は戻り、その幹部同人の句を選んだ人達の歯の浮くような句評もひと通り終わると、進行役の人が、今度はゲストだったあたしに、その句に対しての意見を求めて来ました。
全国の支部から主要会員が集まる定例句会は、200人以上の参加者がいるため、大きなホールでマイクを使って行なうのです。
そう言った座では良くあることですが、他の結社からゲストで招いた俳人に、主宰や幹部の句を別の観点から誉めさせると言うのは、会員達に対してバツグンのアピール度があるのです。特に何年か在籍していて、そろそろ主宰の作品や人間性に疑問を持ち始めた中堅会員達には、定期的にこの洗脳が必要になって来ます。

でも、この日は、選んだゲストが悪かった!(爆)

そんな暗黙のオキテがあるなんて当時は知らなかったあたしは、渡されたマイクを持って、言っちゃいました。

『悪い句ではないと思いますが、このように言い回しの妙を眼目にするのなら、もっとオリジナリティがないと新しみを感じません。○○さんの句で××と言う、同じ言い回しを使った有名な句がありますが、20年も前の作品です。』
あたしは別に、高島屋の株主総会に乗り込んだ総会屋でもないし、ドンキホーテの前で大音量で『巨人の星』を鳴らしてる右翼でもないし、意見を求められたから正直に言っただけなんだけど‥‥。

そして、シ~ンと静まり返った会場に、あたしのトドメの核弾頭が炸裂しました。

「それから表記のミスが一点。中7の「う」は、旧仮名なら「ふ」ですよ。」

さらに、シ~ン(爆)

あとから知ったんだけど、その幹部の先生は、会員達に旧仮名遣いを徹底指導していたそうです(笑)

相手が全くの初心者ならば、どんなに拙い句であっても、あたしは少しでもいい部分を探し出し、そこを誉めるようにしています。しかし、ある程度句歴のある人に対しては、客観的な意見を正直にぶつけるのが、本来の座の姿だと思っています。
類想の海に沈んで行くような句に対して、歯の浮くような茶番は必要ありません。悪い部分を的確に指摘し、直しようがないなら捨てる。ただ、それだけのことです。それが『不易流行』です。

でも、縄文式土器の句会では、他人の句に対して意見を言っていいのは主宰や幹部だけで、あたしみたいなコムスメが、ヒトサマの作った思い込みの激しい句に対して「誉めること」以外の発言するのは、とんでもないことだったのです。

そう言った、縄文式結社の縄文式句会に出てる縄文式俳人達は、何故かプライドが高く、自分の作品を誉められることは大好きでも、意見されることを極端に嫌います。

それなのに、ほとんどの縄文式俳人には向上心と言うものが無く、自分の結社誌、それも主宰や同人の作品ぐらいしか読んでいないので、いつまで経っても弥生式俳人にはなれないのです(笑)
10年も俳句をやってるのに、虚子の句をたった100句も暗記してないなんて、今まで何やってたの?って感じです。

ちなみに、あたしが類句と旧仮名の間違えを指摘した幹部同人の先生は、その後その結社を辞め、自ら新しい結社を作り、あちこちから会員を引き抜き、誰にも読めないような旧漢字を遣い、相変わらず内容のない理屈っぽい句を量産しています(笑)

そして、あたしはと言えば、白木屋とか魚民とかの騒がしい居酒屋のテーブル席にぎゅうぎゅう詰めに座り、使用済みのコピー用紙で作った短冊を回し、選句用紙と一緒にお酒やおつまみが回って来るような座で、本気で俳句を愛する仲間達と熱く俳句を作り続けています。
これが本来の『座』の姿であり、芭蕉や子規の求めていた形なのですから。

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